【2016年ベスト本】本当におすすめしたい19冊をまとめたよ


 本記事では、2016年に読んだ本のなかで特におもしろかった作品を、ざっくりとまとめています。小説、実用書、ムック本、ライトノベル、コミックなどなどジャンルがごちゃごちゃで恐縮ですが、どこかの誰かの参考になりましたら幸いです。

『読んでいない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール

 今年読んだ「本」といえば、まずこれは外せない。書店でふと目に入り、どこぞのバーナード嬢の「これだ!」という声に導かれるまま表紙買い。これまでに読んできた読書論のどれとも異なりながら、いずれの要素も持っているように見える、エッジの効いた「書物」に対する考え方だ。

 訳者あとがきの表現を引用すれば、読者を「読書コンプレックス」から解き放ってくれるだろう内容。とにかく「自由な読書」を志向する本であり、面倒なイメージの強い読書感想文にドロップキックをかまし、「本」と「読書」を魅力的に再定義してくれる一冊となっている。

 そもそも「本」あるいは「読書」とはなんぞや、という視点から始まってはいるが、本書の魅力はむしろ精神分析的な視点にある。具体的には、「読んでいない(よくわからない)本についても人は意見を述べることができる」ということ、そして同時に「読んでいない本について語るときにこそ、その人のアイデンティティーが顕在化する」という指摘だ。

 また、「読書」自体について広く論じながら、筆者が見ているのは常に「他人との関係性」だ。読んでいようが読んでいまいが、ある「本」について語るとき、発せられた言葉にはその人の「個性」が宿る。たとえ、本の内容を淡々と論じているだけに聞こえても、その発言をよくよく汲み取れば、「なぜその箇所を論じるに至ったか」「どのように本を読み取ったか」など、その人特有の視点あるいは本の読み方が見えてくる。

 つまり、ある場面では本について語っているつもりでも、実際に口から発せられているのはその人自身から引き出された知識や教養、あるいは独創性と呼ばれるものであり、その結果として相手とのコミュニケーションが成立しているにすぎない。本は方便であり、書物とは結局のところ、話のタネでしかないのだ。──そう考えると、本の読み方なんてもっと自由でもいいと思えてくる。さらに、こうした「本の語り方」の視点は、まさに今こうして、ブログで感想を書くようなときの参考にもなるものだ。

 ちなみに、案の定というか何と言うか、『ド嬢』3巻に本書が登場していた。

『なでしこドレミソラ』みやびあきの

 コミックは別記事でまとめるつもりだったのだけれど、これだけは外せない。王道の「バンドもの」でありながら、その編成は珍しい「和楽器ガールズバンド」の作品。なによりも特徴的なのが、多彩な和楽器によって奏で織り紡がれる、極彩色の「音」の表現だ。

 三味線は花を咲かせるように。尺八は風が吹き抜けるように。琴は水面に波紋を広げるように。──楽器ごとに異なり、市松、菱菊、格子、青海波といった和柄の文様で描かれた「音」の表現は、その音階・強弱・呼吸までをも伝えてくれるかのよう。モノクロのマンガを読んでいるはずなのに “色とりどり” であるかのように錯覚する魅力を持っている。

 さらに、奏者が替われば「音」もまた変わる。豪華絢爛にして花鳥風月を思わせるプロバンドの演奏シーンに対して、メインキャラクターの女子高生たちの「音」はまだおとなしめ。経験者が奏でる尺八の音色が流れ揺蕩うような曲線で表現される一方、初心者の主人公が奏でる三味線は少しささくれ立っており、線の広狭も不安定。それでも演奏が始まれば、2人が奏でる2色の音は織り混ざり、聴く人のあいだを流れるように響いていく──。

 和楽器の経験がある人、あるいは和楽器が好きな人には、ぜひ読んでほしい作品。まだまだ未熟な彼女たちの演奏が今後どのように彩られていくのか、楽しみでならない。

『やがて君になる』仲谷鳰

 「コミックは一冊だけ」と言ったな。あれは嘘だ。

 本作を書かずして、何が2016年か! はじめて読んだ百合漫画であり、自分の大好きな “人間関係” を描いた物語であり、最高にハマった作品。マンガっぽくリアクションするなら、読んだあと、鼻血を吹き出すどころか、体内の液体という液体をぶちまけて爆発四散するレベル。サヨナラ!

 序盤は、「可愛らしい絵柄だなー」くらいの印象。続けて、メイン2人の背景と性格が徐々に明らかになり、「好き」という特別な感情を実感できない先輩後輩が、徐々に互いに惹かれていく物語……かと思って読み進めてたら、先輩のほうが即堕ちでベタ惚れしてた。

 その一方には、いまだ「特別」を見つけられず、 “自分に惚れた” ことでキラキラと輝きだした先輩を冷めた目線で見ながらも、どこか気になりはじめている後輩ちゃん──という図もまた、対比的でおもしろい。キャラの感情の機微が自然と読み取れる情景描写・演出も魅力的。

 思い返してみると、最近の自分が好んで読む恋愛ものといえば、どこか複雑な、あるいは特殊な関係性を描いた作品が多かった。「女装」によって交差した三角関係(『狼少年は今日も嘘を重ねる』)とか、 “運命の赤い糸”(物理)でつながった恋愛未満(『あかいろ交差点』)とか、タイムスリップしてきた初恋の相手と再会しトラウマを抉られる(『青春のアフター』)とか。

 そんななか、本作『やがて君になる』で描かれるのは、キャラクター同士を行き交う “矢印” の方向それ自体はシンプルでありながら、とても一言では表せない想いのベクトル。3巻のAmazonのレビューにある、 “「相手を好きにならない自分のことが好き、という相手を好きになっていくとこの切なさ」” という表現がしっくりくるように感じるけれど、その想いもどうなっていくかまだわからないし、ほかのキャラが関わってくる可能性も否定できない。

 見方によっては、「わかりにくい!」とも思えそうな思春期の心の機微と、諸々が綯い交ぜの感情。それを「マンガ」という媒体でこれほどまでにわかりやすく、しかも魅力的に描いている作品って、そうそうないんじゃなかろうか。そして、わずかな期間で何度も何度も読み返すマンガというのも自分にとっては珍しく、それほどまでに惚れ込んだ作品となった。今後の展開が楽しみでござる。

『最後にして最初のアイドル』草野原々

 読了した瞬間、キーボードに向かう手を止められなかった。SFはよく知らないとか、元ネタのコアなファンじゃないとか、そういった躊躇はすべて蹴っ飛ばした。たとえ門外漢だろうが何だろうが、とこの本の感想を書くのは、読者たる自分の──いや、〈アイドル〉たる自分の使命である。

 俺が、俺たちが、〈アイドル〉だった。

 ──という、たまたま目に入ったのでポチってみたら、あまりに想定外の内容と展開で脳髄をぐわんぐわんと揺さぶられた本作『最後にして最初のアイドル』。第4回ハヤカワSFコンテスト・特別賞受賞作であり、下地になっているのは某スクールアイドルアニメ。にっこにっこにー☆

 読者を選ぶ作品であることは間違いないし、『ラブライブ!』ファンに勧められるか……と考えると、それもちょっと躊躇うレベル。ただ、ハマる人は一瞬でハマり、節々で爆笑しながら読み進められること請け合い。読後感の爽快っぷりは、2016年随一である。ひゃっほぅ!

 と同時に、読者は脳内を快楽物質に汚染されながら読むことになるため、読了直後のレビューは当てにならない。自分の場合、「やべえよ……アイドルぱねえよ……そうか、宇宙の心は彼女だったんですね! 窓の外はSnow halationなのに、僕の心は夏色えがおで1,2,Jump! だよ! サマーウィー!」──などと、感想記事で興奮ぎみに供述していた。……やべえよ……なに言ってんだこいつ……。

 こればかりは実際に読まないとわからないと思うので、少しでも「おっ?」と感じる要素があったのなら──多分、読んでみて間違いはないと思う。Kindleストアをはじめとする電子書籍ストアで120〜130円程度のお値段なので、暇なときにでもポチッとどうぞ。

『砕け散るところを見せてあげる』竹宮ゆゆこ

 『とらドラ!』でおなじみ、竹宮ゆゆこさんによる青春小説。「あなたは絶対、涙する。」という帯の煽り文句が変にハードルを上げてしまったのか、ネット上のレビューは賛否両論。人を選ぶ作品であることは間違いないと思う。

 第一印象は、王道のボーイミーツガール。ヒーローに憧れる少年と、いじめられっ子の少女。テンポの良い会話は読んでいて楽しく、気づけば時間を忘れて読みふけっていた。

 ところが中盤から、「これはおかしい……というか、どっかで読んだような……?」と既視感を覚えはじめる。急展開を見せる物語と、繰り返されし登場する、撃ち落とすべき「UFO」の比喩。それはどことなく、無力な2人の少女が “砂糖菓子” でもって抗う物語を思わせる*1

 甘くも残酷、やるせない結末に落ち着いたそれとは異なり、本作はハッピーエンドで終わるかと思われた。──が、その期待は辛くも終盤でひっくり返され、地の文による怒涛の展開が待っている。撃ち落とされたUFOと、2人の死んだ人間。最後には、訳のわからなさだけが残った。

 そのまま本を閉じていたら、きっと記憶にも残らない作品になっていたのだと思う。しかし、答えは冒頭にあった。最初の20ページほどを読み返し、「もしや……?」という引っかかりを覚え、終盤を改めて読み返す。──そうして、やっと、合点がいった。そういうことだったのか、と。これはすごいと思わされると同時に……ちょっとだけ、泣いた。

 いじめに立ち向かう少年少女の青春小説であり、独特の構造を持ったミステリーであり、そしてなによりも、喪失すらも温かく受け入れる「家族」の物語。「わかりやすさ」を求める人には向かないけれど、あれこれ解釈を楽しみたい人にはぜひおすすめしたい一冊だ。

『君の名は。 Another Side:Earthbound』加納新太

 今年はとにかく『君の名は。』フィーバーがヤバかった。10年来の新海誠作品ファンとしては、嬉しさよりも何よりも、「どうしてこうなった」という驚きのほうが大きかったようにも思う。……よし、その勢いで『秒速5センチメートル』も観ような! おじさんとの約束だぞ!

 そんななか、映画公開と同時に刊行されたのが、本作『君の名は。 Another Side:Earthbound』だ。新海監督による映画本編の小説版とは別に書かれた特別編であり、筆者は『雲のむこう、約束の場所』などのノベライズも担当した加納新太さん。映画とは別の「外伝」であり、4人のキャラクターが主役の4つの物語が収録された「短編集」となっている。

 サブキャラクターの魅力を掘り下げる “おまけ” 的な立ち位置の作品──かと思って読んでみたら、とんでもない。映画で言葉足らずに感じた「宮水」の家の背景を筋が通った形で描き出しており、理解の手助けになるどころか、本編の世界観を拡張するほどの内容だった。

 瀧が主役の第1話はコメディ色が強く、勅使河原視点の第2話では周囲のキャラと「糸森」の掘り下げがあり、続く第3、4話では「宮水家」の核心に迫る過去と現在が描かれる。特に宮水父の過去が描かれる4話は本編とリンクしており、『君の名は。』という作品そのものの強度を増す内容・展開になっているように感じられた。最後のイラストは必見。

 本編では「厳格な父親」という印象の強かった宮水父に対するイメージが変わるだけでなく、映画とも明確に紐付いた前日譚。それは、瀧とおっぱいに始まり、三葉と父で終わるサイドストーリー。『君の名は。』の世界観にもっともっと浸りたい人は、ぜひにご一読あれ。

『小説 言の葉の庭』新海誠

 『君の名は。』が好き? それなら『言の葉の庭』も観ような! ──というわけで、その小説版。新海誠さんといえば映画監督としての映像美は言うまでもないけれど、自分としては「小説家・新海誠」も大好きなのだ。映画さながらの情景描写はもちろん、キャラクター個々人の背景に根ざした心理描写が巧みで、本当に夢中になって読んでしまった。

 特に本作『言の葉の庭』に関しては、これ一冊でひとつの小説として楽しめるほどの完成度。あくまで「映像の文章化」あるいは「原作」として書かれているように感じた『秒速』と異なり、本作は映画の世界観を大きく拡張した「別作品」としても読めるほどだった。

 というのも本作は、章別で合計6人の視点から物語が展開し交差する、「群像劇」の構成。主人公&ヒロインの2人に加えて、その兄と母、高校の体育教師に、映画の終盤でビンタされる女子生徒──この6人の一人称で、それぞれ物語が紡がれる。映画ではサブキャラクターとしての立ち位置にいた4人、各々の想いと懊悩と息遣いをしっかりと感じることができる物語は、どれも読みごたえ抜群。自分はやはり、年齢の近い兄貴や雪野に感情移入してしまった。

 私たちは皆気づかぬうちに病んでいる。でもどこに健全な大人がいるというのだろう。誰が私たちを選別できるというのだろう。自分が病んでいると知っているぶんだけ、私たちはずっとずっとまともだ。

第二話 柔らかな足音、千年たっても変わらないこと、人間なんてみんなどこかおかしい。──雪野

 誰もが何かを抱えながらも、必死に日常を生きている。その一例として描かれる6人の物語は、どこか切なく、苦しく、孤独で、それでも美しく思えるもの。そういう意味で小説版は、「恋」を描いた映画本編以上に、「孤悲」のキャッチコピーがしっくりくるものだと思う。

『大人のための文章教室』清水義範

 読み終えた瞬間、「実践しよう」「この部分を改めよう」という思いが自然にわきあがる──そんなときにこそ、「いい本を読んだ」と心から思う。本書もその一冊だ。

 『大人のための文章教室』は読んで字のごとく、文章術の入門書。筆者は、パスティーシュ(文体模写)の名手として名を馳せた小説家・清水義範さん。序盤は懐疑的に読みはじめたものの、読了後は「日頃からいろいろな文章を読まなきゃ!」と、読書欲が心底高まった。

 本文で論じられているのは、つまるところ「作文技術」である。文の長短と句読点について、文体の選択と考え方に、避けるべき文章の例示、分野別の文章作法などなど。そして最後には、筆者の経験に基づく文章上達の具体的な手段を示してくれている。

 そういった細かな「技術」も参考になるのは間違いないが、自分が感銘を受けたのはその部分ではない。先に書いたような「いろいろな文章を読むこと」の重要性であり、それは、 “文体模写” に秀でた筆者の分析力と文章力に惹かれたがゆえのものだった。

 というのも、あらゆる文章には、その掲載媒体ごとにある種の「型」が見受けられる。新聞には新聞、雑誌には雑誌の文体がある。そして、そういった特定ジャンルの文章ばかりを読んでいると、その枠のなかで「読み方」が凝り固まってしまうのではないかという懸念が出てくる。

 実際、自分に当てはめてみても、ネットニュースやブログばかり読んでいる昨今を振り返ると、その “凝り固まり” が強く感じられるのだ。ネットに最適化された、「作文技法」とは異なる「テンプレート」への違和感。──それははたして、本当に「読みやすい文章」なのだろうか。

 そんな疑問を覚えつつ読み進めていたこともあり、単なる「書き方」にとどまらない、文章の「読み方」もしくは「読まれ方」をも分析しながら作文技術を紐解いていく筆者の姿勢に、強く感銘を受けたのだった。文体模写──パロディの名手である筆者は、言わばそういった「『型』の分析」のプロフェッショナルとも言える。その説得力はすさまじい。

 過去に多くの文章に触れてきたである “大人” を前提としたタイトルにはなっているものの、その書き口はかなりやさしい。中学生が手に取ってもスイスイと学ぶことのできそうな、幅広い世代に勧められる一冊だ。改めて基本に帰り、「作文」を存分に楽しみたい人へ。

『文章は接続詞で決まる』石黒圭

 今年、どちらかと言えば自分の「読み方」に影響を与えた『大人のための文章教室』に対して、「書き方」に直接的な変化をもたらしたと思われるのが本書。意外と多種多様な「接続詞」を紐解いた一冊であり、想像以上に濃ゆい解説本となっている。

 本書ではまず「接続詞」の定義と役割を確認したうえで、4種10類に分類。それぞれをの使い方を個別に説明しつつ、類似の接続詞の比較検討も並行して行なっている。

 たとえば──そう、この「たとえば」という接続詞は、あらゆる文章で使うことのできる便利な表現であるため、無意識に使いすぎてしまうきらいがある。そこで本書では、「たとえば」と同様の表現ではあるが異なる範囲を示す表現、「具体的には」「実際」「事実」といった接続詞をあわせて説明している。似通った接続詞の違いと用法を理解すると同時に、その使い分けも流れで学ぶことができるわけだ。

 さらには文章にとどまらず、「話し言葉」の接続詞にも言及。巻末には索引まで用意してある親切な構成となっており、手元に置いておきたくなる魅力がある。これ一冊で「接続詞の辞典」として使えるくらいの利便性を備えており、事実、僕自身も今年はお世話になった。過去のブログ記事と比較しても、本書を読んで以降の文章は、意識して接続詞を使い分けるようになっている──と思う。

 ちなみに、以下に示した本書の感想記事を書く際には「あえて接続詞を多用していた」ことを、今更ながら告白しておきます。

『ネット炎上の研究』田中辰雄、山口真一

 半年ほど前、新たな「ネット炎上」の解説書の出版が、一部で話題になったことを覚えているだろうか。NHKニュースの紹介ページがバズったほか、いくつかのレビューサイトでも多く人に閲覧され、それなりに注目を集めていた。それが本書『ネット炎上の研究』である。

 タイトルがずばり “研究” なだけでなく、著者のお二方からして本職の大学教授。見るからに学術書……というか紛れもない “学術書” であり、自身の卒業研究以来となる硬派な文体に触れ、気圧されたことを覚えている。とはいえ、内容は極端に難解なわけでもない。

 本書の注目すべき点は、まずなにより、それが2016年現在における最新の「『炎上』解説本」であることだ。2005年8月の「きんもーっ☆」事件*2に端を発する「ネット炎上」の歴史と変遷が、横断的にまとめ上げられた一冊。10年以上に及ぶ「炎上」現象、その大筋を振り返っているというだけでも、価値ある書物であることは疑いようがない。

 対象読者としては、ネット文化に疎い初心者に勧められるのはもちろんのこと、長年をそこで過ごし関わってきた「ネット民」にもぜひ読んでほしいと感じた。「実際に『炎上』に参加している人は、全体の0.5%に過ぎない」「炎上参加者は年収が多く、ラジオやソーシャルメディアをよく利用する、若い子持ちの男性」という調査結果とデータは、疑問を覚える部分も少なからずあるものの、新鮮かつ驚きに満ちたものとなっている。

 特に、解決策のひとつとして示されている「サロン型SNS」のアイデアと機能は、それまでにない発想でおもしろかった。実践するとなると難しいとは思うものの、あれこれと考えてみるのは悪くない。

『ネットが生んだ文化』川上量生ほか

 客観的・統計的・第三者的視点から「炎上」を分析した『ネット炎上の研究』に対して、どちらかと言えば「当事者」として複数の視点から分析したのが、『ネットが生んだ文化』だ。

 ドワンゴ会長・川上量生さんが筆者として記名されているが、川上さんは「監修」の立場。序章で「ネット文化」についてざっくばらんに論じつつ、その具体的な内容は全8章・計8人の筆者へバトンタッチして語ってもらうような構成になっている。寄稿しているのは、ばるぼらさん、佐々木俊尚さん、小野ほりでいさん、荻上チキさんといった、そうそうたる執筆陣だ。

 焦点となるのは、序章で語られる「ネット原住民」と「ネット新住民」という区分。ネット上に存在する軋轢の大多数はこの二者間の「文化的衝突」であり、互いの不理解・不寛容によるものである、と川上さんは指摘している。先の『ネット炎上の研究』とは明確に異なる分析となっているが、当事者たる “ネット民” としては、こちらの言説のほうが納得できた。

 読後の印象としても、本書は「ネット原住民」の視点が色濃く現れた解説本であるように感じた。でも、なればこそ、本書は「ネット新住民」にこそ読んでほしい。ネット文化と縁遠い人ほど、ネットの文脈がわからず、違った方向で主張を展開し、ネット民の総叩きに遭っているように見えるので。それは「どちらが悪い」というよりは、不幸なすれ違い── “文化的衝突” に過ぎないというのが、本書の何人かの執筆者に共通する見解にもなっている。

 だからこそ、ネットに不慣れな人には、ネットの根底に流れる「ネットカルチャー」の一端を知ることのできる本書を、先の『ネット炎上の研究』と共におすすめしたい。ネット文化を知るための参考書として、自衛の手段として、そして「インターネット」を長く楽しむために。……もちろん、原住民側が歩み寄ることも必要だとは思うけれど。

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』山田ズーニー

 話が通じるためには、日ごろから人との関わり合いの中で、自分というメディアの信頼性を高めていく必要がある。

 一見すると、「コミュニケーションのハウツー本」に見えなくもない本書。たしかに間違ってはいないけれど、方向性は少し異なるかもしれない。ハウツー本が「会話のキャッチボールの方法」を書いているとしたら、本書で説いているのは「より上手なボールの投げ方」だ。

 キーワードは、「メディア力」。相手に「伝える」のではなく、自然と「伝わる」ような話し方を指向しつつ、本書ではもう一歩踏み込んで「自分の意見を齟齬なく相手に伝え、理解・納得してもらう」ことを目指した方法論を説いている。その途上で必要になるのが、メディア力だ。

 「信頼」とも換言できるメディア力を担保するのが、「論理」と「共感」。──と書くと当たり前のようにも思えるが、本書はその具体的な考え方がとにかく明確でわかりやすい。実際、人を説得する「論理」は、時に無感情に聞こえたり暴力的に感じたりして、うまく伝わらないことがある。

 そこで筆者が示しているのが、結論ではなく「問い」を相手と共有する考え方。「これはこうだ」とただ順を追って説明するのではなく、「これはどうなんだろう?」という「問い」を挟むことで、相手と通じ合うことができる。他者と共有した「?」が、同じ結論を導いてくれる。

 しかし一方で、そうした「論理」が必ずしも相手を動かすとは限らない。強すぎる正論は、人を頑なにさせてしまう。だからこそ、相手に「共感」することで自分を「信頼」してもらい、歩み寄る姿勢が必要なのだ。──それすなわち、「メディア力」である。

 メディア力という表現は、SNS全盛の過渡期を過ぎた現代のインターネットにこそ相応しく、同時に、ほかのなによりも重要な要素であるように思う。少なからずネットを介して情報発信をしている身として、本書の指摘は繰り返し省みたい。

『「世間」とは何か』阿部謹也

 「世間をお騒がせして申し訳ありません」

 ──改めて考えてみると、まっこと不思議な言葉だ。企業の不祥事や芸能人の身内の失態などに際して、主に記者会見の場などでよく耳にする、この文句。

 特に後者、謝罪している人自身には非がないにも関わらず、身近な人間の誤ちについて頭を下げる文化。感覚的にはわかるような気もするものの、理屈で考えると途端に違和感がわきあがる。誤ちを犯した人間が “身内” であるというだけの理由で、無関係の人が謝罪する──そんなことにいったい何の意味が、謝るべき「罪」があるのだろう。

 そんな「世間」の所在を紐解いたのが、『「世間」とは何か』だ。西欧の概念である「個人」「社会」といった言葉と比較検討しつつ、日本の古典文学を遡り、そのルーツを探る。文化史的な要素が色濃い分析になっているため、古典が好きな人はおもしろく読めるはずだ。

 まず『万葉集』『古今和歌集』で詠われた「世間」に始まり、続いて『源氏物語』『今昔物語』『大鏡』『愚管抄』『徒然草』などで見られる物語構造の分析を経て、井原西鶴の浮世草子、そして夏目漱石『坊っちゃん』へ至る。大河ドラマ『真田丸』で見た「鉄火起請」が登場したときは、思わず「つながった!」と興奮した。

 ひとつの結論として、「世間」の背後にあるのは「無常」だという指摘はピンとこないかもしれない。が、そこは「個人」としての意識が希薄な日本人。自分の属する “世間” の変化には敏感であり、自身の存在の揺らぎにもつながりかねない大事である。そりゃあ気にする。

 吉田兼好、井原西鶴、夏目漱石などを詳細に取り上げており、学校で学んだ日本史ともつながる部分が多いため、知的好奇心をくすぐられた。「世間」という言葉について考えたい人はもちろん、日本史や民俗学好きにもおすすめしたい。

『茶―利休と今をつなぐ』千宗屋

 日本における伝統芸能の「三道」といえば、華道・香道・戦車道──じゃなかった、「茶道」である。そして現代における「茶道」と聞くと、どうにも敷居が高いイメージがつきまとうもの。僕自身、交わるような機会もなかったが、たまたま本書が目に入ったので読んでみた。

 本書の筆者は、茶道三千家のひとつ・武者小路千家の次期家元。「茶道」と「茶の湯」についてわかりやすく概説した、入門書的な一冊となっている。歴史の解説部分は退屈に感じる人もいるかもしれないが、語り口は非常に平易。それでいて、実際に試してみたくなる魅力もある。

 事実、自分が緑茶を淹れて飲むようになったのは、この本を読んでから。忙しい毎日にひぃひぃ言ってたころ、本書に書かれていた「独服」の考え方と出会い、お茶を飲む習慣ができた。

 独服とは、自分のために自ら点てていただくお茶のことです。茶室のことを「囲い」ともいいますが、日常の中にほんの一時、お茶によって囲われた非日常の時間を作り出すことで、自分と向き合い、確認をし、ニュートラルポジションに戻る。

 急須でちゃちゃっと粉末茶を淹れて飲むだけではあったものの、仕事とプライベートの切り替え、スイッチのオン・オフが、この「お茶を淹れて飲む」という行為によって確立されたという実感があった。同じお茶でも、茶葉の種類やお湯の温度によって味わいも変わり、奥が深い。

 また、茶の湯は「インスタレーション」であり、「パフォーミングアート」であるという言説には、今まで持っていたイメージをひっくり返された。茶器や茶室は「道具」でありながら「作品」でもあり、さらには「芸術」や「政治」「宗教」の要素をも持ちながら、「茶の湯」として独立的に確立されたひとつのジャンルである──と。芸術分野に造詣が深い人がしばしば「茶」に詳しいのも、納得できた。

 利休に連なる「茶」の歴史と文化、茶器の説明に留まらず、日常生活における立ち位置や考え方などについても書かれた本。門外漢の自分でもおもしろく読むことができたので、たまには別ジャンルの本に手を出してみるのも悪くない。そう思えた。

『なるほどデザイン』筒井美希

 全271ページ。結構なボリューム感を誇る、初心者向けのデザイン入門書。「デザイン」の「デ」の字もわからない自分が、あっという間に一気読みしてしまったほど。説明のわかりやすさは言うに及ばず、読み物としてもむちゃくちゃおもしろかった。

 本書の魅力はサブタイトルにもあるとおり、 “目で見て楽しむ” 構成になっている点。図解・イラスト・写真が多用されており、デザイン用語がちんぷんかんぷんな人間にもやさしい造り。文字数は最小限に抑えた、一目でわかる絵とページ構成が、とにもかくにもわかりやすい。

 同時に、基本的な「デザイン」の考え方について、幅広い視点から概説している点もポイント。どういうことかと言うと、たとえデザインを学んだことがない人でも、本書を読み進めていれば、少なからず何かしらの「知っている」内容が登場するようになっているように感じた。「色」の使い方はなんとなく聞いたことがある人も多いだろうし、パソコンを使っていて「フォント」を普段から気にかけている人もいるはず。そうした話題が登場すると、自分の知識と照らし合わせて、自ずから「なるほど!」と思えるのだ。

 そういった意味でも、この『なるほどデザイン』はとても間口が広く、「デザイン」に対する関心を強めてくれる一冊となっているように読める。自分の知っている「デザイン」と知らない「デザイン」とを整理して、これから学ぶ方向性を見定めるのにもぴったりなのではないだろうか。

『ちぐはぐな身体』鷲田清一

 「茶」「デザイン」ときて、自分のよく知らない分野のお勉強シリーズ・第三弾は、「ファッション」。てっきり入門書的なものかと思って本を開いてみたところ、「自分の知ってる “ファッション” と違う!」などと、あまりのギャップに驚いた。

 哲学者である筆者によるファッション論でありながら、中心にあるのは身体論。「そもそも、人間の身体ってどんなもの?」から始まり、「衣服」と「ファッション」を複数の視点から捉え直す一冊となっている。曰く、「そもそも人間(特に自己)の身体はいかにして認知されるのか」「衣類の役割はなんぞや」「制服が付与する《属性》の良し悪し」「デザイナーの意図はどこにあるのか」などなど。

 ざっくりと言えば、本書が示しているのは「ファッション」の基礎知識や在り方というよりも、それ以前の問題──すなわち、衣類をまとう「人間の “身体” という存在」そのものに関する考え方である。それゆえ、服の知識やファッションセンスが皆無な自分でも読みやすく……実際、高校生向けに書かれた本らしい。わ、わぁい!

 そんな本書で筆者が示してくれるのは、ヒトの身体の “ちぐはぐさ” 。そもそもヒトの身体とはちぐはぐなものであり、衣服はそういった不安定な存在に属性を付与し、社会的規範のイメージを縫いつけるものである。ゆえに、ファッションはそのイメージを “着崩す” ことから始まる──と。ファッション音痴な身としては、「つぎはぎ上等じゃい!」と開き直ることができる言説であり、本書を読んで随分と気が楽になったのだった。

『もうミスらない 脱オタクファッションバイブル』久世

 対して、こちらは世間的な「ファッション」に関する入門書。ファッションに疎い初心者、特に「オタク」を想定読者としたハウツー本となっている。ピンポイント。

 しかし、そもそも「オタクっぽい」とは、どのような服装を指すのだろう。テンプレート的にメディアで取り上げられる「チェック柄」「シャツイン」といった要素はあるものの、そのくらいだ。にも関わらず、テンプレを避けても「オタクっぽい」と称されることもある。 “オタクっぽさ” の定義とは、どこにあるのだろうか。顔か! やっぱり顔なのか!

 そこで、本書ではまず、「チェック柄のシャツ」に代表される「オタクっぽい服装」を暫定的に定義するところから始めている。そのうえで、具体的には「どこがダメなのか」(課題提起)を確認し、「何に気を付け、どうすればいいのか」(改善方法)を提案していく。

 特に繰り返し登場するのが、「オシャレではなく “普通” を目指す」といった旨の記述だ。オタクゆえのちぐはぐさを解消し、清潔な見た目になること。それらを引っくるめて、「普通たれ」と口を酸っぱくして書いている。そういった意味では、どこか奇抜な格好をしたり、柄物の服を買ってしまったりしがちな、高校生男子にも勧められるかもしれない。

 基礎中の基礎からイラスト&マンガ付きで説明してくれるので、何も知らない人に向けた、文字どおりの入門書。身だしなみの基礎となる知識の説明はもちろんのこと、おすすめのコーディネートや店名も具体的に挙げて提案してくれている。まずは、この一冊から。

『新海 誠Walker』

 先ほど外伝小説を挙げたが、新海誠作品ファンとしては、この一冊も外せない。『君の名は。』の公開に合わせて発売された、新海映画のガイドブック。設定資料集や絵コンテと共に過去作品を辿れる、監督の作品が好きな人にとっては嬉しい保存版となっている。

 前半は『君の名は。』特集として、スタッフ陣へのインタビューがメイン。キャラクターデザインの田中将賀さん、作画監督の安藤雅司さん、新海監督とRADWIMPSの対談に、主役2人の声を担当した神木隆之介さんと上白石萌音さんを加えた鼎談も。劇中の「音」作りの話がおもしろい。

 なかでもアツいのが、新海監督と神木隆之介さんのロング対談。自身も新海作品の大ファンでありながら、役者の視点からも語られる神木隆之介さんの作品評と、それに呼応するように繰り広げられる新海監督のものづくり観の話が、読んでいてむちゃくちゃおもしろいのだ。──というか、神木くんのガチファンっぷりがヤバい。「そういう見方もあるのか!」と、目から鱗の話ばかりで、過去作品を見返したくなる。

 およそ12ページにも及ぶ対談は、文字数にして約19,000字といったところ。ムック本ということでそこそこ良いお値段するものの、正直に言って、この対談部分だけでも「買う価値はあった!」と断言し、満足のできる内容だった。ますます作品が好きになったし、『君の名は。』を繰り返し観に行く一因になったようにも思う。新海ファンはぜひ。

『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』倉下忠憲

 ちょうど今日で開設から4年になるが、「ブログってなんだろう?」といまだに考え込むことがある。広義を読めばウェブサイトの一種に過ぎないブログ。他人の運営の仕方に疑問を覚えたり、自分が間違っているんじゃないかと悩んだり──そんなとき、先人のブログ論は参考になる。

 本書『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』は、ブログ「R-style」の倉下忠憲さんの著書。特定の目的を前提としたノウハウやテクニックではなく、広い意味での「ブログ」の意義とその続け方について、ゆるっと論じた内容だ。──さすがは10年選手。納得できる言説が数多く、文体もやさしいなため、素直に受け止めることができる。

 他方では「プロブロガー」に関する話題もあり、ブログを使ってどうこうしようと考えている人の参考にもなるのではないかと思う。特に「PV病」とも呼べそうな深みにハマり、方向性を見失っている人に対しては、本書が処方箋になることもあるはずだ。

 どのようなジャンルであれ、「ブログ」を運営している人にはおすすめできる一冊。呼吸するようにブログを書く人がいて、友達と話すようにブログを書く人がいて、歌うようにブログを書く人がいる。本書を読んでそんなことに気づきつつ、「じゃあ自分はどうなんだろう?」と立ち止まり、自問してみてはどうだろうか。

 

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