「自分らしい文章」を書くには?ブログだからこそ生まれる「らしさ」


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 先日、こんなご相談をいただきました。

「最近、ブログを始めたのだけれど、自分が書いた文章に違和感を覚えて仕方がない。上手い下手は置いといて、なんだか“自分らしくない”気がする……」

 わかる~~~!!(めちゃデカ大声)

 そうそう、そんなことありますよね。自分なりに思うがままに文字を書き綴っているはずなのに、あとで読み返してみると、謎の違和感を抱いてしまう感じ。

 僕自身、1年前と2年前のブログ記事を読み返してみると……なんとまあ、「誰だおまえは!?」とツッコみたくなるような文章も割とある。考えていることは「自分らしい」と言えば “らしい” のだけれど、文体でちょいと引っかかるんですよね……。あと、ネットスラングの流行り廃りが激しい。

 今回は、「 “自分らしい” 文章ってなんぞ?」という問いについて、改めてつらつらと考えてみようと思いまする。

 

「書き言葉」と「話し言葉」は別物である

 まず、そもそも「書き言葉」と「話し言葉」は別物である、という見方があります。日常での会話をそのまま「文字」にして表現するのは難しい。無理に書き起こしてみても、「文章」としては非常に読みにくいものにしかならないはずです。

 もちろん、ネット上には講演やラジオなどの音声を “書き起こし” たコンテンツだってたくさんある。そしてそれらが、「話し言葉」を活字にしたものであることは間違いありません。

 しかし言うまでもなく、そういったコンテンツには編集の手が加えられています。より読みやすくするために、口調だけでなく話の順番を入れ替えてまとめられた文章だってある。それらはたしかに、もともとは「話し言葉」だったものですが、「書き言葉」に変換された別物であると言えるでしょう。 

 加えて、媒体によって表現が変わるのは「書き言葉」と「話し言葉」だけではありません。同じ「書き言葉」の文章であっても、それが掲載・印刷・表示されている場所によって、あるいはその内容・テーマによっても各々に特徴があり、それぞれがある種の「らしさ」を持っています。

掲載場所によって異なる、文章の「らしさ」

 一例として、このブログの過去記事を見てみましょう(※クリックで各記事に飛びます)

  1. 「ソーシャルメディア」とは?その定義と種類、特徴
  2. 就活で使ったエントリーシートを公開してみる
  3. 会社を辞めるか悩んだ時に「現代の働き方」を再考する10冊の本
  4. 妹がチョコレートで「ダンボー」を作ってくれたよ

 どれも同じブログで、僕という同じ筆者が書いたものでありながら、「文体」がそれぞれ微妙に異なっていることがわかります。それぞれの「内容」は言うに及ばず。

 ちなみに上から順に軽く説明すると、

  1. 学生時代の論文を一部マイルドにしたもの
  2. 就活時代のエントリーシート
  3. 電子書籍用に執筆した文章
  4. 会話文と画像を多用したブログエッセイ

となっています。下に行くほど「話し言葉」に近い、かるーい文体として読めるのではないかしら。

 新聞に雑誌、論文にエッセイ、ブログにまとめサイトなどなど、同じ「書き言葉」であっても、「自分らしさ」の前にその「媒体らしさ」がある。さらには上で示したように、 “僕” という一個人が書いている個人ブログですら、その内容によって文体が異なっていても不思議ではありません。

 であるならば、文章における個人の文体つまり「自分らしさ」というものは――たしかにある程度はその文中ににじみ出てくる面もあるのだろうけれど――時と場合によって、グニョングニョンと形を変えるものなのではないかと思います。「らしさ」が表れるとしても、それはむしろ文章中に書かれている「意見」や「主張」といった部分に色濃く出てくるのではないかしら。

 よっぽど語彙力や文章力に秀でている人や、特徴的な文章を書く人でもないかぎり、「らしさ」が前面に出てくることはなかなかない。読者がまず最初に意識するのは、書いている筆者の「その人らしさ」よりも、その文章が掲載されている「媒体らしさ」のほうだと思います。

余談:「話し言葉」は変化するのが当たり前

 付け加えると、これは何も「書き言葉」に限らず、「話し言葉」でも同じことが言えるようにも思います。

 「敬語」や「常語」といった区分に始まり、どういった場面や場所で話すか、誰を相手にするかによっても変化するのが、話し言葉。相手の立場や自分との関係性によって口調を使い分けている人は珍しくありませんし、その時の自身の気分や心境によっても話し方が変わるかもしれません。

ブログは「自分らしさ」が自然とにじみ出てくる場所

 その一方で、「ブログ」という媒体に関しては「型」はさほど重要ではないようにも感じます。

 一口に「ブログ」と言ってもさまざまですが、基本的には思うがままあるがままに感じたことを好き勝手に書き連ね、それを積み重ねていく場所。その結果として「自分らしさ」が文章ににじみ出るようになり、周囲から評価されるようになる――というのが、個人ブログで見られる「らしさ」だと思います。

 そもそも個人ブログの魅力は、「媒体ならではのテンプレート(=らしさ)がない」ため誰もがまっさらな状態から始められる、という点にあります。

 もちろん「ブログ」にも定義はありますし、それがどのようなジャンルであれ、「文章・写真・イラストといったコンテンツを記事単位で投稿したもの」であることに変わりはありません。大枠で見れば、決められた「型」はたしかにある。

 ですが、そこに「何を」「どのように」書くかは運営者一人ひとりに委ねられており、世の中には千差万別の「ブログ」が存在しています。写真やイラストといった視覚的に楽しめるものもありますし、文章ひとつ取っても、日記・エッセイ・小説・レビューなど、多種多彩な読み物がある。

 いうなればそれは、好き勝手に思いを綴れる落書き帳。

 敬体や常体、文字数や構成、取り扱う話題やコンテンツに決まりはなく、記事が個別に完結している必要すらなく、どんなことを、どういうふうに書いてもOK。自由だからこそ自然と個性が表れやすく、その筆者以外の「らしさ」が極限まで削ぎ落とされた場所。それが、媒体としての「ブログ」の魅力なのではないかしら。

「自分らしくない」と感じるブロガーは、「ブログらしさ」に縛られている?

 ──と考えていて思ったのですが、ブログを書くなかで「なんだか自分らしくないような……」と悩んでいる人は、もしかして何らかの「ブログらしさ」に縛られてしまっているのではないだろうか。

 人気ブロガーの「ブログらしさ」に追従しようとしたものの、完全に真似することができず、他の人を参考にしたことで「自分らしさ」も迷子になった結果、どっちつかずになってしまっているのでは……?

 尊敬する人の文体を真似しているとか、「PVやお金が稼げる」と聞いて、推奨されているテンプレートを取り入れているだとか。たしかに効果的な方法だとは思います。でもただ追従し続けるだけでは、必然的に「自分らしさ」は削らざるをえない。

 「自分らしさ」がどこから生まれるのか、どうやって育てられるのかといえば、結局のところは自分の「好き」の感情を言語化して書き続けることで形になっていくのだと思います。好き勝手に文章を積み重ねていれば自然と「らしさ」は表れてくるし、ブログ運営自体も長く続けられるはず。

 なんにせよ、楽しんだ人勝ちですね!

 

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