50人近くの読者さんの退職相談を受けてきて感じたこと


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 そういえば、このブログには仕事」カテゴリーがあったことを、ふと思い出した。そう、「とんかつがうまい」だの、「落語はいいぞ」だの、「百合漫画が尊い……」だのと自由気ままに書いていますが、当初はそんなことも書いていたのです。

 もともとは会社員時代に作り、退職後に本格的に更新を開始した、このブログ。初期は「仕事がああだー!」とか、「会社はこうだー!」とか、割と好き勝手に物申していた時期もあったのでござる。今もたまーに書くことはあれど、当時ほど “物申す” ような心境でもありませぬゆえ。

 しかし一方で、その頃に書いた記事は今でもよく読まれている様子。「大学を卒業して入社した企業を1年半で辞めた結果www」的な話は、意外とネット上でもサンプルが少ないらしく、弊ブログの体験談が結構な頻度で参照されているようなのです。

 で、そちらの記事に「何かご相談などあれば……」とメールアドレスを載せていることもあり、たびたびご連絡をいただくこともありまして。

 その多くは、入社3年以内の20代会社員、あるいは、就職活動中の学生さん。記事に対する端的な感想文もあれば、本気で悩んでいると思しき長文の相談メールも少なくございません。なかには、実際にお会いしてお話を聞くこともしばしば。

 そういった事情もあり、フリーランスとなった今でも、「会社員」としての働き方について考えることがある今日この頃。かれこれ2年間、「働き方」に悩む20代の方々のお話を聞いてきて思ったことを、年度末というこの時期に、つらつらと書き連ねてみました。

「最近の若者は我慢が足りない」は、本当?

 「相談」と一口に言っても、内容は当然のごとく十人十色。

 入社前と後とのギャップに苦しんでいる人もいれば、誰が聞いても十中八九「ブラックだ……」と嘆息するような酷い環境で勤めている人もいる。激務に忙殺されて体調を崩した人もいれば、職場の人間関係が我慢ならずに悩み続けている人もいる。──本当に、さまざまです。

 だからこそ、「最近の若者は我慢が足りない」「とりあえずは3年は我慢しろ」などと断言して、 “若者” を一括りにするのはどうなのかなあ……と、疑問に思うこともあるわけでして。若者の就労支援に携わってきたNPO法人の理事長さんは、自著のなかで次のように書いています。

 何度も何度も語ってきたように、つまずいた理由、立ち直るきっかけは、人それぞれで、そこに共通点は見つからない。一人ひとりがかけがえのない存在であることと同じように、一人ひとりがまったく違うのだ。

 それは、人の生き方が人の数だけあるのと、同じなのかもしれない。

 だけど、一つだけ言えることがある。それは、「つまずいてしまった若者が立ち直っていくとき、人とのつながりが大きな役割を果たす」ということだ。

工藤啓 著『大卒だって無職になる “はたらく”につまずく若者たち』より)

 そりゃあもちろん、全体の傾向として、 “最近の若者像” のようなものはあるのかもしれません。指示待ち族のマニュアル人間だとか、打たれ弱く融通が利かないとか。100人単位で “若者” と接してきた人が複数いて、その誰もが「そうだ」と断言するのなら、きっとそうなのでしょう。

 でもそれを「個人」の問題として考える場合には、そういった “傾向” なんて頼りにならないとも思う。「そういう統計がある」からと言って、それが目の前の個人に当てはまるとも限らず、「みんな3年耐えてるから」と多数に追随することが、その人にとっての最適解とも言い切れない。

 自分が実際に話を聴いたのは数十人足らずですが、それでも、各々を取り巻く職場環境も人間関係も悩みも問題も、すべてがバラバラの多種多様。誰にも等しく「こうすれば万事解決☆」なんて、一概に同じ話をすることはありませんでした。「我慢」は、ひとつの基準でしかない。

 そもそも、自分のような見ず知らずの他人に相談しようと考えている時点で、彼ら彼女らの「我慢」の閾値は、とうに超えているんじゃないかとも思うのです。話を聴いたかぎりでは理不尽だらけ、むしろ自分のほうが“我慢が足りな”かったと、我が身を省みるくらいだったので……。

 というか、人の「我慢」の基準なんて、それこそ「人それぞれ」なんじゃなかろうか。3年以内に辞める一部の若者を指して、「最近の若者は我慢が足りない」と断言できるのなら、電車の遅延で駅員さんに怒鳴りかかっている一部の大人を指しても、同じことが言えるのでは……?

「誰かに話そう」と行動した時点で結論が出ている

 ──などと、「一括りにするんじゃねえ!」と書いておきながらアレですが。ご連絡をいただいた読者さんたちのお話を聴くなかで、ある種の傾向があるように感じたのもまた事実なんですよね。

 もちろん、お話に来てくださった方々は皆、一人ひとりが異なる悩みや問題を抱えていらっしゃるようでした。けれど一方では、そういった “自分のような見ず知らずの他人に相談し” にお声がけくださった皆さんなりの共通点というか、傾向のようなものも感じられたのです。

 具体的には、多くの人が「結論ありきで相談に来ている」ように見えた点。

 転職しようかどうしようか、するとしたらどのタイミングが良いか、仕事での不満や問題を解消するにはどうしようか、自分ができることは何か、できないことは何か、今後のキャリアプランをどうするか──など。

 細分化すれば、まだいくつかの選択肢が脳内にあるだけで、実際にどう行動に移すかは決めかねているようでもありました。しかし、それら幾重にも枝分かれしている「問題」の、その大元となる部分は、すでに各々のなかで「結論」が出ている人が多いように感じたのです。

 労働環境に上下関係、低賃金にやりがいなど、問題はさまざま。それらに対して、改善を上司に求めたり、然るべきタイミングでの配置換えを希望したり、見切りをつけて転職活動に励んでいたり。こちらが何を提案するでもなく、行動に移している人が少なくなかったんですよね。

 逆にこちらがお話することと言えば、僕自身の経験や、どういった考えで仕事を辞めたか、辞めたあとの変化や後悔の有無など、個人的な話ばかり。相手の方の参考になりそうな本や、同業で働く知人の例など、面と向かってこそ話せる話題もありましたが、それも一部に過ぎません。

 結局のところ、 “見ず知らずの他人” にできること、求められていることは、そのくらいなのでしょう。歳が近く、あまり表沙汰にはならない一個人の「失敗談」を、等身大の形でお話すること。願わくば、ひとつのサンプルケースとして参考になれば、願ったり叶ったりでござる。

 そんなこんなで、「仕事」の問題に関して「実際に会ってお話できませんか?」とお誘いいただくようになってから、はや2年。当初こそ「少しでも参考になる助言ができれば……!」などと、謎の使命感で足を運んでおりましたが、今となってはそれも傲慢な見方だよなあ、と。

 コンサルタントでもなく、就職活動に詳しくもなく、若者の就労支援に携わった専門家でもなく、ただの「新卒3年以内退職者」でしかない自分。そもそも「その辺の一個人の退職話がない!」ということでブログに記事を書いたのですし、相手方もそれを読んで連絡をくださったわけで。

 変に「助言」をしようとしても嘘くさくなるだけでしょうし、それ以前に、そんな偉そうなことを言える立場でもなく、誇れる経験もしていない。──ということで、以降は「相談」というよりも、もっと軽く「雑談」をするような心持ちで足を運ぶようになりました。

 実際のところはただの自己満足に過ぎず、むしろ相手の貴重な時間を奪っているのではないかと考えることもありますが……。意外にも、長めの感謝メールを送ってもらえたり、その後の経過報告をしてくださったりする方もいらっしゃるので、しばらくは続けていこうかな、と思います。

余談:「他人」だからこそ?

 余談となりますが、何名かにお聞きした感じだと、逆に「 “見ず知らずの他人” だからこそ、相談しやすかった」というお話もあるようで……。

 同じ職場の同期とは話しづらかったり、そもそも同期がいなかったりする方も少なくなく、他方では学生時代の友人も多忙だったり、勤務地が遠かったりするなどで、疎遠になりがち。親に話すのも、「あまり心配をかけたくない……」と躊躇することが多いようです。

 業種にもよるでしょうが、ひとたび入社してしまえば、外部で新しくつながりを作るのはなかなか難しい。全く別コミュニティに属する人との交流が得られず、閉塞感を覚える人も少なくないのでしょう。そういった意味で、ネットの “見ず知らずの他人” は需要があるのかなーと思いました。

 

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