冬の季節、喫茶店の窓際の席は、寒い。
窓がしっかりと閉められていようが、遮りようのない外気は身体の末端から体温を奪っていくもの。足首は靴下でガードし、ひざ掛けがあれば脚全体も温めることができるけれど、両の手の指先はどうしようもないのです。手袋欲しい。
他の季節とは異なり、無心にキーボードを叩き続けることは難しく、たまに労るように手をにぎにぎ、ぐっぱぐっぱ。やっぱり機能性の高い手袋の類があったほうがいいのかなーと思いつつ、まあいっかーと自己完結。でも寒い。――ほら、隣に座る学生さんも今、ブルってした。
でも、喫茶店の窓際から、道行く人波を眺めるのも楽しい。特にこの季節、駅前のロータリーはイルミネーションできらきらと輝いているし、流れるBGMはクリスマスっぽいしで、春・夏・秋よりも趣深く感じる――のは、僕だけかしら?
駅の出口に佇む人は、寒さに凍えながらも、待ち人来たれば破顔させて寄り添い歩き出す。どこかへ向かって急ぎ足で通りすぎようという人も、ふと七色の電飾に足を止め、スマホを構えてしっかり撮影。満ち足りた顔したスーツのおじさま抱える紙袋には、何が入っているのだろう。
そんな冬の景色をぼーっと視界に入れつつ、あれこれと物思いに耽っていると、なんとなく、彼ら彼女らの「手」に目が向いた。
むきだしのまま歩調に合わせて振られる両の手、鞄を提げた右の手に、ズボンのポケットに突っ込まれた左の手。困ったように首元に添えられた手のひらと、胸元に垂れるマフラーを抑えながらも何かのリズムを刻む指先。
ただただ振られるだけの両手にも、ひとりとして同じものはなく、指先まで見ると個性……というか、「クセ」のようなものが見て取れておもしろい。
指までギュッと握りこんで腕を振るチビッコがいれば、反対に“パー”の状態で行進するがごとく風切る少年も。寒そうにズボンのポケットにしまいこんでいるおねーさんもいれば、なぜか人差し指と親指だけ伸ばした“拳銃”ポーズで歩いているおじさまもいたり。
考えてみれば、自分にも「指」のクセがいくつかあった。ズボンには突っ込まず、親指だけポケットにかけるだとか、運転中や勉強中に気づけば和太鼓のリズムを叩いているとか。考え事をするときには人差し指を顎に添えて首を傾げる……なんて、テンプレっぽいクセも。うふふ。
もしかすると、冬は外気や周囲のモノの多さもあってか、そういった「手」や「指」に表情・感情が出やすい季節なのかもしれない。もちろん夏は夏で、手汗を拭く動作だったり、 皮膚を伝う汗を手の甲でぬぐったりすることもあるけれど。
ただ、「体温と気温との差が大きくなる」という点で見れば、夏よりも冬のほうが、その動きがはっきりと現れやすいのも納得できるように思う。指先の硬直具合、あるいは色合いを見ただけでも、その人の感じている寒さがなんとなーく見て取れるんじゃないかしら。
「手」と言えば、こんな話もありました。
【堀越】 『NARUTO』のおかげで手を描くのが大好きになったんです。顔のアップとかでも、必要ないのにわざわざ手を入れたりしています。手は顔の次に感情が出ると思うんです。
【岸本】 僕もそう思いますね。手って強く握ったグーと軽く握ったグーでは、全然表情が違う。顔とおなじぐらい、気持ちが手で表現できる。なんか手をずうっと見てると、だんだん「かっこいい……」となってくるんですよねえ。「神様すげえ!」って。
「手フェチ」「指フェチ」なんて言葉もあるけれど、たまの機会に他人と自分の「手」「指」を見比べるとぜんぜん違っておもしろいし、実際に「あら、素敵なお指様……」などと感じることもしばしばある。……あれ? そんなことない?
お互いの手のひらを合わせるだけでもその大小は異なるし、個々の太さ・細さに好意を覚える人も少なくないのではないかしら。各々の骨格に何かを感じる人もいれば、血管の浮き出具合と色合いに心惹かれる人もいる……らしい。僕はそこまでじゃないです。たぶん。
そのように「手」や「指」に魅力を感じる人が多い理由のひとつが、先ほどの対談の話なのかな、と。顔を除けば、目に見える場所でもっとも個人の特徴が現れやすい部分であり、しかも場合によっては、その“人となり”までもが可視化されてしまうから。
強い怒りや苦しみに苛まれているときには握りしめるだろうし、リラックスしているときには“グー”でも“パー”でもない自然な形になっているはず。その時々によって異なる表情を見ることができるだけでなく、「感情」までもが見え隠れする部位なんじゃないかと。
もちろん、「その人の手を見れば職業がわかる」とか、「手を握れば恋人の考えていることがわかっちゃうんです〜☆」といった特殊技能は持ちあわせておりませぬが。
ふとしたときにその人の「手」や「指」を意識してみると、何か新たな発見があっておもしろいかもしれない。これからの季節、相手の寒さや想いを察しようとするときにも。
――そう、たとえ、気になるあの人の左手薬指に何かを発見しても、顔には出さず、グッと手を握りしめて耐え忍ぶのです。その手を握ってくれる人は、きっといる。たぶん。おそらく。