渋谷ハロウィンで思ったこと〜敷居の低い“ハレ”の空間が求められている?


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 いやー、ハロウィンの日の渋谷はヤバかったっすね。マジヤバ。百鬼夜行も真っ青の、魑魅魍魎が跋扈する魔境。世紀末感がすごかった。

 10月31日はたまたま近くで用事があったため、興味本位の野次馬マンとしてふらっと立ち寄ったわけですが……ちょっとだけ後悔している。だって、センター街で人波に飲まれた結果、もう何が何やら訳のわからんことになってましたもの。図らずも冬コミの予習になった気がする……。

 ──でも同時に、ちょっとだけ楽しかったです、はい。

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ただただカオスだった、渋谷センター街

 当日、渋谷の地に降り立ったのは夜7:00頃。

 とりあえずメシでも食うべと、人混みを避けて道玄坂方面へ。センター街付近は大混雑している予感しかしなかったので少し逸れて、Bunkamura近くで軽く晩ごはんを済ませた格好。

 で、外に出たら明らかに人の数が増えていたので、こいつはやべえとスタバに避難。

 入り口付近には「仮面などでお顔の見えないお客様はご遠慮!」という旨の掲示があり、トイレ近くには店員さんが常時待機という臨戦態勢。……なるほど、着替えさせないためですね。

 スタバでは2時間弱ほど作業をしておりましたが、着替え目的らしい人が入れ替わり立ち替わりに入ってくる入ってくる。当然ながら店員さんに丁寧に諌められることになり、しぶしぶ出て行く──という光景が何度も見られました。

 パッと見たかぎりでは、近くのドン・キホーテから流れてきたんじゃないかしら。ドンキでコスプレ衣装を買って、近場で着替えるつもりだったのでしょう。まさかの当日購入&現地調達……。ガチのコスプレ勢を見習ってほしいけど、見習ってほしくない。

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 9:00過ぎになって外に出てみると、すでに通りはてんやわんやのお祭り騒ぎ。

 ネット上で問題視されていた「路上のゴミ」はまだ目立っていなかったものの、ドンキ付近を見ると、仮装道具が入っていたであろうビニール袋が散乱しておりました。

 そのまま人混みを避けて帰宅してもよかったのですが、「帰る前にちょろっと覗いていくかー」と野次馬根性が働き、センター街方面へ。

 結果、すぐに波に飲まれた。世界的ですもんね。乗るしかない、このビッグウェーブに……なんてツイートする余裕もなく、あれよあれよと百鬼夜行の一員に。あ〜れ〜。

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 人波に流されて、気づいてみれば、センター街のど真ん中。シャッターの閉まったお店の前では撮影会が行われ、道の中央は満員電車のすし詰め状態。

 ……知ってるよぼく!
 これ、コミケ3日目の島中で起こる大渋滞だ!

 右を見ればナルトとサスケが決めポーズをし、左を向けばミニスカポリス集団と園児服のおっさんグループが仲良く記念撮影。ゾンビメイクのイケメン外人さんはセンター街の中心で愛を叫び、キョンシー女子はふしぎなおどり。目の前ではベイマックスが蹴躓き、背後からは「え!? ちょっと待ってあの娘チョーかわいいんだけどいやいやいやマジでマジで、っていうかわけがわからないくらいにピンポイントなんだけどなにこれ告っていい!?」というリヴァイ兵長の興奮した囁き声。

 ──うん、わかったから、僕の耳元で愛を語らないでください。僕のTOKIMEKIがどこまでもエスカレートしちゃうよ?

 人混みが嫌いな人だったら、あの空間にいるだけで問答無用の拒否反応が起こること間違いなし。実際、普通に歩こうとしても押し合いへし合い、気づけば逆方向に流されていたりして、駅にたどり着くまでに30分以上はかかりました。

 おかしい……普段だったら徒歩5分程度なのに……。

 僕自身、最初は「興味本位で寄り道しなければよかった……」と軽く後悔したのだけれど……なぜだろう。途中からは割と楽しかったというか、謎の高揚感を感じるようにになっていたのでした。長時間そこにいるのは嫌だけれど、その場の「お祭り感」に当てられたような感覚はあった。たーのしー!

ルール無用の「遊び場」と目的なき「から騒ぎ」の渇望

 マスメディアは言うに及ばず、ネット上でも賛否両論──どちらかと言えば「否」のほうが多いような実感──のある、ここ数年の日本のハロウィン。おなじみの季節イベントとして、一応はそこそこ昔から知られている催しであったと記憶しています。

 ただ、この2、3年の「渋谷」という空間で巻き起こっているそれに限って言えば、あまり褒められたものではないという意見にも共感できます。

 仮装道具を買うほか、近隣の飲食店にも人が集まるなど、「消費活動が活性化している」というメリットはあるかもしれません。とはいえ、街全体として見れば、終わったあとに残るのは路上のゴミばかり。駅近隣に住んでいる人のなかには、「人混みを避けるために予定を変更せざるを得なかった」などの影響があった人も、少なからずいたのではないかしら。

 そのような点を考慮すると、ルールはもちろんの、ゴミ問題やテロ対策の必要性も感じられた、渋谷のハロウィン。いろいろな問題が明らかになった──という点では悪くないことなのかもしれませんが、そのなかで、個人的には以下の指摘が気になりました。

 簡単に言えば、「ケ」とは「日常」のこと。仕事や勉強、日常的な人付き合いや将来への不安など、ストレスにもなりやすい毎日の生活を指すもの。そして「ハレ」とは、古くからのお祭りに代表される「非日常」を指します。

 つまり、これまでは日常のケガレを浄化する役割を果たしていた「お祭り」がその機能を失ったことで、現代に適した形にアレンジされた「渋谷のハロウィン」のような空間が出現したのではないか──という話ですね。個人的には、読んでいてすごく納得しました。

 というのも、日頃のルーチンワークで積もりに積もったストレスやモヤモヤをうまいこと発散できず、それを自分で浄化する方法もわからない「 “ハレ” 難民」のような人は、決して珍しくないんじゃないかと思いまして。

 ちょっと前までなら、地元の祭りでヒャッハーするとか、会社の新年会・忘年会でヒャッハーするとか、季節のイベントごとでヒャッハーすることができていたはず。しかし、多様な価値観が認められるようになった昨今では強制参加の催し物が減り、万人共通の「ハレ」の場がなくなりつつあるのではないかしら*1

 また一方では、価値観の多様性が認められるようになったからといって「ハレ」の場がなくなったわけではなく、文化・世代・地域・趣味・嗜好などによって細分化されただけであると──見ることもできます。

 言い換えれば、(住民総出の村祭のような)全員が強制参加するイベントの代わりに、自分が好きな「祭り」を選べるようになったということ。音楽が好きな人はフェスへ行き、オタクは年2回のコミケに参戦し、アイドルファンはステージに向かって愛を叫ぶことができる。

 今や「ハレ」の場はあちらこちらに存在し、誰もが自分の好きな「祭り」に参加することができるようになったわけです。

 ところがどっこい。取り立てて趣味がない人からすれば、それは困った状態だと考えることもできる。いざ「ハレ」の場に参加しようにも選択肢が多すぎるし、そもそも「ケ」の日常が忙しくて、自分で選ぶような時間がないのでは……?

 そんなときの助けとなるのが、世間の流行であり、新しい試みであり、参加するハードルの低いイベント。そして、それらの条件をすべてカバーしていたのが「渋谷のハロウィン」であり、だからこそ、あれだけの人を集める結果になったのではないかと。

 こちらの記事によれば、ハロウィン当日は同じ都内でも、街によって異なった「ハロウィン」の光景が見られたのだそうです。

 実際、オタク趣味を持つ人を多くフォローしている自分のタイムラインを見ると、多くの人は渋谷などには目もくれず、池袋のハロウィンイベントに行っていたようなので。聞くところによれば、六本木は六本木でまた別の層が集まっていたらしいですし、街によってカラーがあったようです。

 一般的なイベントであれば「こういうことをやる」「どういった人が集まる」「このようなルールがある」など、前提となる情報はつきもの。その点、すべての前提が排除されていた「渋谷のハロウィン」は、共通の「ハレ」の場を渇望していた人たちに受け入れられ、あれだけ盛り上がったのだと考えられます。

 本来は必要であるはずのハードルがすべて倒された状態で、そこにあるのは、「なんかよくわからんけど楽しそう」「ハロウィンだから仮装すればOK」という空気だけ。その浮ついた空気はまるで魔力を持っているようで、実際にいろいろな人を引き寄せていたように感じられました。

 どこで何をするにも、ルールや作法を知っている必要がある現代。そんななかで1日くらいは、「よくわからないけれど、大勢で適当に集まって、参加者個人の背景は気にせず思い思いに楽しめるイベント」の存在が認められてもいいんじゃないかな……と、個人的には思いました。

 ──もちろん、迷惑はかけるのはダメですが。
 超えちゃいけないラインは超えないよう、気をつけましょう。

 

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*1:とはいえ、昔なじみの「伝統的な催し」が万人にとっての「ハレ」の場たりえていたかと言えば、そうでもない気もしますが。