「モノ」ではなく、「コト」としての本の世界を拡張する


 先日、こちらのイベントにおじゃましてきました。

 「『書評ブロガー』と言えばこの人!」と思い浮かべる人も多いであろう、デジタルハリウッド大学図書館長・橋本大也さんをお呼びした、トークイベント。第二部では「Lifehacking.jp」の堀 E. 正岳さんも登壇するという、豪華な内容でございます。

 題材の選び方、タイトルの付け方、内容紹介をどう書くか、人目を惹くキャッチコピー、ブログやソーシャルメディアの活用方法など、ネットワーク時代に生きる出版関係者なら気になる話題が盛りだくさん!

橋本大也「デジハリ図書館長と一緒に考える『本を読ませる技術』」 | Peatix

 僕自身は、半分は個人的なメモとして「本の感想」をまとめているに過ぎない泡沫本読みブロガーでございますが、その筋のプロはどういった価値観でもって「書評」を書いているのかというのは気になるところ。

 それ以前に「本が好きな人の話を聴くのは楽しい!」という持論・経験則もあり、これは行くしかあるめえ、と。──案の定「本」や「読書」だけでなく、研究対象としてのブログ運営、イベント空間のつくりかたなど、短い時間ながら示唆に富んだイベントでおもしろかったです。

「イベント」という読書体験の入り口づくり

 大学の図書館長として勤めている橋本さんの目下の悩みは、とにかく「学生が本を読んでくれない」こと。ネットやら何やらで「文字」を読む機会は減っていないという意見も耳にしますが、教育に携わるご自身の実感として、読書をする学生は少ないという話。つらい。

 そりゃまあスポーツに興味がない人が観戦に行かず、ファッションに無関心な人が自分からはアパレルショップに足を運ばないように、「読書」の習慣がない人の首根っこをつかんで書店へ行き本を勧めたところで意味はない。──だって、そもそも視界に映っていないんだもの。

 「じゃあ、どないすればいいのん?」という疑問に対して、デジハリ図書館では2015年度の施策として、以下の5点を挙げているそうな。

  1. イベントをたくさんやる
  2. たくさんの書評を提供する
  3. 行き場のない学生に居場所を提供する
  4. 禁断の読書を紹介する
  5. 人工知能を開発中

 「行き場のない学生に居場所を提供する」はわかりやすいですね。大学に限らない、広い意味での「図書館」の役割でもあるような印象。学習スペースとして、休み時間の居場所として、静かな憩いの場として、広く開放されている安心空間。在りし日の自分の、昼休みのサンクチュアリでござった。

 ざっくりと説明のあった他の施策もおもしろい内容ではあるのですが、ここで注目するべきは「イベント」。それも「本を読もう!」「読書のススメ!」といった推しだし方をした催しではなく、何かに関連付けるような形で「本」を取り上げるような。

 「最近の若いもんはけしからんことに読書をせん! ならばワシが教えてやる! ガハハ!」では、誰も聞いてくれない。というか、元来の“読書好き”にもいろいろいるし、本のジャンルだって多種多彩。

 なればこそ、十人十色の関心にそれぞれ対応できるような、複数の入り口を用意してあげる必要があるのです。

みんなだいすき、ビブリオバトル

 この “入り口” の具体例としては、いくつかの「実演」と「関連書籍」の紐付け方が紹介されておりましたが、それ以上に効果的なのは、「身近な人の等身大の言葉によるおすすめである」という指摘も。

 その実例として挙がっていたのが、「国際ビブリオバトル」というイベントでした。もはや学校教育を中心に定番ともなりつつある、「ビブリオバトル」の国際編(参考:ビブリオバトルの手順

 デジハリは留学生が多いということもあり、いろいろな国の出身の人を集めてビブリオバトルを開催したところ、独特の文脈やギャップが生まれておもしろかったそうな。

 イケメンが恋愛小説をバイブルとして紹介したとか、自国の定番古典を持ってきたら「ずるいぞ!」と同郷の学生から総ツッコミを受けたとか、なぜか日本のネット小説が出てきたとか。

 なぜビブリオバトルが読書の入り口に向いているかと言えば、なによりも「推薦者の顔が見える」ことが大きいと思うんですよね。「こんな人がこの本を勧めるの!?」というギャップがあれば、「この人がそう言うなら間違いない」という信頼性もある。

 この「顔が見える」相手は、何も知り合いでなくとも問題はない。初対面の相手でも何かしらの印象は抱くものだし、こちらが一方的に知っている有名人などでも、思いもしない本が出てきてびっくりすることもある。壇上に立った相手が話し出せば、自然と耳を傾けてしまいますし。

 加えて、それが一種の「ゲーム」として体系化されている点も強み。普段は何かの折に友人に本を勧めようとすると、どうも自分勝手にあれこれと魅力を語ってしまいがちだけれど、時間制限のあるビブリオバトルではそうもいかない。

 自薦本のどの部分を切り取り、どういった角度から、どのような語り口調で、どうしたら魅力が伝わるかを試行錯誤しつつ、限られた「5分間」を使い切る必要がある。台本通りに自信満々で語る人もいれば、ある程度はノリに任せて話しまくる人もいて楽しい。

 橋本さんは、「おすすめする人が変われば、本に対する印象も変わる」と仰っていましたが、まさしく。極端な話、同じ本をテーマにして5人が「おすすめ」すれば、その取り上げ方も勧め方もばらばらになって当然です。

 自分がその場で本を読む必要はなく、強い押し付けがましさもなく、会場に行ってすることは、ただ “話を聴く” それだけ。何かしらの「本」と出会う場所として、「読書」体験の入り口として、ビブリオバトルの魅力を再確認しました。久々に行ってみたい。

場所と時間の縛られたイベント空間で、“違和感”を与える

 橋本さん曰く、「普段、憤りを感じること、違和感を持っていることを明文化するために本を読んでいる」と。読書家さんの中には、この意見に共感する人も一定数いるのではないかしら。

 ただ、現代はなんでもかんでもネットで調べることができてしまうため、そういった “違和感” も簡単に解消できてしまう。──その点については、堀さんの「検索で手に入れた “思い込み” で戦っている場合が多く、凝り固まった人も増えている」という指摘が耳に痛くもありますが。

 その解決策としてお話に出ていたのが、やはり「イベント」の存在。「時間と場所の縛りがあるイベント空間に引き込むことができれば、会場に足を運んだ人に対して、少なからず “違和感” を与えることができるのではないか」と。

 実際に昨今の書店の取り組みを見ても、そのような傾向が強まっているという印象もあります。下北沢の「B&B」、神楽坂の「かもめブックス」などなど、積極的にイベントを開催している書店さんは少なくない。確か、東浩紀さんも「ゲンロンカフェ」でそんな話をしていたような。

 書店発のイベントに留まらず、最近は個人が呼びかけて開催されるイベントも増えている様子。「読書会」で検索すれば結構な数がヒットしますし、「スゴ本」さんに代表されるような「読書オフ」も珍しくないイメージ。オンライン読書会なんてのもありますね。

 そんなこんなで、活字離れだなんだのと叫ばれてはいる一方で、「読書」という活動に関する間口自体は広がっているし、コミュニティも数多く点在している現状があると言えそう。興味があればその辺の読書会に飛び込むも良し、自ら主催するも良し、ですね。

  

参考:NPO法人日本独立作家同盟

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