ブログで取り上げる「ネタ」の選別と、炎上を避けるための考え方


 

 「ぐにゃぐにゃ自由に!それがメ・タ・モン!」と、ガキンチョの頃に観た『ポケモンかけるかな?』のビデオで歌っていたことを、ふと思い出した。

 ――そう、誰もが自由な発想と勢いでもって書ける、素敵なポケモン。それが、彼。決して、“産む機械”だとか言ってはいけない。6Vください。

 

 そんなメタモン先輩ではありませんが、「ブログには何でも自由に書いていい!」というのは、ブログ運営者の間でそこそこ広く語られている話なんじゃないかと思う。

 そりゃあもちろん、別にそれで生計を立てるでもなく、メディア化するわけでもなく、自分が趣味でやっている「個人の日記」であれば、そこに何を書こうが当人の自由でござる。中学生時代の黒歴史ノートをスキャンして投稿しても良いし、チュープリを載せたって構わない。うむ。

 

 しかし一方では、あまりに「自由」に書きすぎた結果か、たくさんの非難を集めて「炎上」するようなことはしばしば。……最近は割と減ったような気もするけれど。どちらかと言えば、フォロワー水増しとか、スパム行為とか、サービス上の規約違反をツッコまれるほうが多い印象。

 今となっては、あまり「炎上」についてどうこう書いても意味がないかもしれませんが、「よし!ブログを書こう!」とエディターを開いたところ、以下のような文章ができあがったので投稿します。「ブログネタの見つけ方」を書くつもりが、なぜか「炎上」の話になってた。

 

最もお手軽な「日記」でも、取り上げ方には要注意

 基本中の基本(?)でございますが、何よりも手軽で簡単な「ブログネタ」と言えば、普段の生活の中であったことをそのまま記事にしてしまうもの

 何かしらの目的がない、広い意味での「個人ブログ」であれば、その大多数は日常を話題にしているものなんじゃないかしら。そもそもが「日記」みたいなものですしね。普通の「日記」と違うのは、それが全世界に公開されている点。うふふふふ。コワイ!

 

 まず、学校通い・会社勤めをしている人ならば、その日常はネタの宝庫であると言っても差し支えないでしょう。

 

 通学・通勤の途中に目にする広告だとか、直面した出来事だとか、取り上げられる「ネタ」はそこかしこに落っこちているはず。「あの広告のドヤ顔感がうぜえ!」とか「このキャッチコピーおもしろい!」とか「満員電車ではてブやってる人がいた!」とか。特定不可避。

 ただし、自分の身近で起こった出来事や、見知らぬ他人の行動に対してあれこれツッコもうとする場合には、やはりその取り上げ方、記事の「書き方」には気をつける必要がある。自身が特定されていざこざに巻き込まれる危険性もあるし、特定の人物(名も知れぬ他人)あるいは行為について論じているようで、言外に不特定多数を批判しているような内容は炎上しがち。

 

 同様に、周囲の人間関係について書こうとするときには、より細心の注意を払う必要に迫られる。これもしばしば議論になるポイントですが、あけすけに書きすぎたり、特定人物を不快にさせたり、関係性にヒビを入れたりしかねないような取り上げ方は避けたほうが良いんじゃないかと。

 自分のことについて書き綴るのは自己責任。けれど、たとえその可能性が低くとも、周囲に危害や不快感を与えるおそれのある話題については、慎重を期すに越したことはないでしょう。具体的な人物や行為はボカすとか、内容の細部を変えるとか、切り口を一般化するだとか。場合によっては、そういった「書き方」が求められるんじゃないかと思いまする。

 

鉄板ネタ、モノとしての「コンテンツ」にも思うところあり

 先に挙げた「人間関係」――特に「恋愛」に代表される個人間の話は読まれやすいし、反響を集めやすい記事でございましょう。いくつになっても、他人の色恋の話を聴く・読むのはおもしろい。……当人からしたら、たまったもんじゃありませんが。

 多彩な「人間関係」について言及した記事は、それを読んだ人も自身の周囲と比較して、あるいは一般化して考えることができるので、「万人向け」であると言えるはず。ただしその分、ちょっと取り上げ方を間違えると、非難轟々の炎上につながりかねないというリスクもありまする。

 

 その点、誰もが安心して、自分の自由に取り上げることのできる話題として挙げられる「ネタ」の代表格が、各種コンテンツでござる。

 

 小説、ビジネス書、ライトノベル、コミック、映画、ドラマ、バラエティ、グルメ――などなど、世に出回っている消費対象としての「コンテンツ」は、誰もがツッコみやすく話題にしやすい、鉄板ネタ。普段、友人との雑談でも盛り上がる“話の種”なんじゃないかしら。

 これらのコンテンツ群は、特定の人物や固有の出来事とは切り分けて考えることができるため、自分が「消費者」であるかぎりは第三者的に、一歩引いて語ることのできる話題でもあります。もちろん、そこには「クリエイター」に代表される「ヒト」がたくさん関わってはいるのですが、作品は作品として、別個の存在として語られるのが基本なんじゃないかと。

 

 ブログで取り上げる際には、自分が特定ジャンルのコンテンツに関する知見を持っていれば、それを活かしていくらでも語ることができるし、まったく知識がなくとも、純粋な「好き」「嫌い」で感想を書くことができてしまう一面もある。すごい万能感。

 ――とは言え、あまりにも「好き勝手」すぎる言説は当然のように批判を集めることになるので、こちらもバランスは重要。どんなコンテンツにもファンがいることを考えれば、無思考の全否定は槍玉に挙げられても仕方ないように思えるし、誹謗中傷なんてもってのほか。知ったかぶりはあっという間に看破されるし、ただこき下ろしたいがだけの主張が非難されても文句は言えませぬ。

 

 特に最近はTwitterなどが普及したことによって、それらコンテンツの作者たるクリエイターさんたちとの距離感も近くなっている現状がある。にも関わらず、作品はおろか、作者の人格否定まで当然のようにする人がいるのはなんなんじゃろ。ワケガワカラナイヨ。

 「好き勝手」にも限度はあるし、常に「他人の目」があるのがインターネット。クリエイターへの尊敬の念は忘れず、せっかく近くでやり取りできる(かもしれない)機会があるのだから、「嫌い」よりも「好き」を押し出したブログ記事を個人的にはおすすめしたいところ。

 

「すべてがネタになる」からこそ、「書かない」選択肢を忘れずに

 ……でもまあ、文章が好きな一個人として、日々のあれこれを言語化してブログに書き綴るという行為は、むちゃくちゃ楽しいものなんですよね。

 それも、ただ「書く」だけじゃなくて、反応が返ってくる(かもしれない)というのがミソ。たとえリアルではコミュニケーションが苦手なクソ人間であっても、「僕はここにいてもいいんだ!」と承認されたような気分になるのです。はいはい、おめでとさん。

 

 そのようなブログにおいて、体系化されたルールはなく、何を書こうが個人の自由――というのは「だいたい合ってる」とは思う。あくまで“だいたい”だけど。

 だってここは、みんなだいすき、いんたーねっつ。どこの誰が読んでいるかわからない。何を感じているかも知れない。にも関わらず、画面の向こうには間違いなく生身の人間がいるはずなのに、それを忘れて、面と向かっては吐かないような暴言を叩きつける。おらぁこんな村いやだぁ……。

 

 そう考えると、「だれか」に読まれているかもしれないからこそ、「何を書くか」ではなく、「何を書かないか」が重要になってくるのが、個人ブログという媒体の特徴であり、悩みどころでもあるんじゃないかと思った。

 

 必要以上に他人の目を気にしすぎるのも考えものだけれど、必要のない感情まで言語化してしまうことで、誰かが傷ついたり、不利益を被ったりしてしまうのは避けたいところ。

 それによって何かしらの問題提起となったり、議論の呼び水となったりするのであれば、まだ良い。でも、いたずらに「だれか」の感情を煽りたて、お互いに罵り合って何かが生まれるかと言えば……ただ疲れるだけっぽい。強いて言えば、無関係の第三者がまとめサイトで記事にして広告収入を得るとか。

 

 これってある意味では、「メディア」の悩みと言えなくもないんじゃないかしら……と考えると、やっぱり「個人の日記」だろうが、どこぞのだれかさんが読むかもしれない以上は、それなりに意識しなくちゃあならない部分もあると思うのでした、はい。

 

 最後に、ちょっと前にノリで考えた「炎上を避けるための考え方」をなんとなく載せておきます。久しぶりに自分で読み返したけど、なかなかにツッコミどころが……。

  1. 画面の向こうの「他人」を意識する
  2. 「大きな主語」と「レッテル貼り」を避ける
  3. よく知らない話題には首を突っ込まない
  4. 上から目線よりも、下から目線で
  5. 人格否定ではなく批判的意見を
  6. 自分の言葉は「伝わらない」という前提で
  7. 感情をスパイスに、論理的なやり取りを

ネット炎上10周年を前に考えた/「炎上」を避ける7つの考え方

 

 良かったら、どなたかアップデートしてください(丸投げ)

 

 

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