初めての“瞑想”体験!高野山東京別院の阿字観実習に参加してきた


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 この週末は、春晴れの心地良い陽気でございました。都内でもイベントが盛り沢山。幕張では日本最大級の文化祭が催され、駒沢では若者が肉に狂い、後楽園では世界最高のロックスターがドームに立つ。そんな土曜日に、僕は、お寺さんで瞑想をしていました。

 きっかけは、「無料で楽しむ東京ガイド100」と題されたガイドブック『FREE TOKYO』。この中で紹介されていた高野山東京別院の「阿字観実習」が気になり、勢いで飛び込んできたという格好でござる。聞くところによれば、若い参加者も増えているそうな。

 ぶっちゃけ僕自身は宗教全般に関しては疎く、常識レベルの知識があるかも定かではない人間でございます。なので、「阿字観(あじかん)*1に関する詳細な説明は省きつつ、その場で実際に体験し感じた空気感をメモ書きとして残すような形で、ざっくりと感想をまとめました。

 

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品川駅から徒歩15分、忙しなさを忘れる都心のオアシス

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 訪れたのは、高野山東京別院。その名の通り高野山真言宗の宗派にして、総本山金剛峯寺の直属の別院。品川駅から徒歩15分という立地ながら緑豊かで、非常に小奇麗な「都会のお寺」といった印象です。

 お昼時にはチビッコたちが寺院内を走り回り、お散歩中らしいご高齢の夫婦が休憩に立ち寄る、和やかな空間となっているように見受けられました。こういうほっとする風景、いいよね。

 

 もともとは学びの場として、江戸時代から開かれてきたこちらの寺院。現在も一般向けにいくつかの「教室」が開かれており、今回参加した「阿字観実習」もそのひとつとなります。

 料金は無料。我が身一つで訪れ、住職さんの指示どおりに瞑想に取り組み、終わった後にはお茶会も開かれるという至れり尽くせりっぷり。――といった認識だったのだけれど、お話を伺った後に考えてみれば、それもすべて参加者さんの協力によるものでござった。その件は後ほど。

 阿字観実習は月2回、土曜日の午前10:00より始まります。ただし、初めて体験する人には9:30からの前説明を聞くことが推奨されており、僕もそちらから参加しました。この「説明」に関しては、本寺院のホームページの方に書かれていなかったので、忘れないよう要注意。

 

手取り足取り、指示に従うだけで簡単にできる瞑想体験

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 9:30ちょうどくらいに現地へ到着すると、寺院内を走り回って声掛けをしている男性の姿が。「本日の阿字観実習会、初めての方はこちらへどうぞ〜!」との声に従って奥の建物へ向かうと、中では既に講師の住職さんがお話をされておりました。お邪魔いたします。

 着席して周囲を見回すと、参加者さんの数は非常に多く、部屋いっぱいに並べられた椅子が全て埋まっているほど。その数、50〜60人といったところかしら。

 年齢層は老若男女さまざまですが、意外と若い女性が多くてびっくり。同年代と見受けられる男性はほとんどおらず、むしろ20代後半〜30代くらいの女性が多かった印象です。あとは大多数を占める、おじさんおばさん世代。

 

 およそ15分かけてこの「実習」の概要を聞いた後は、本堂へと移動して「塗香(ずこう)*2」について教わります。お香を右手の人差し指と親指で一摘みし、左手の手のひら、右手の手のひら、それぞれの手の甲へと塗りこんでいきます。お寺さんでよく鼻にするニオイだ!

 この塗香、想像に難くないように「お清め」の儀式であると同時に、これから瞑想を始める「スイッチ」の役割も果たしているというお話でした。特定のニオイ、嗅覚と記憶が紐付けられているように、塗香もその感覚を覚える、呼び戻すために行うそうです。なるほど、納得。

 

 お香のニオイを身にまとったら、さあ、いざ実習です。本堂の中には、僕らのような初めての参加者以外にも既に大勢の実習生が集まっており、それぞれ座っている座布団の前に阿字観本尊*3の掛け軸が掛けられている様子。

 ただ、今回はあまりに参加者が多かったのか正面はほぼいっぱいになっており、初心者勢は前に立つ住職さんの周りに各々座る形に。それでも収まりきらず、自分も含めた一部初心者は本堂周囲の敷居をひとつ跨いだ空間に腰を落ち着けることになりました。が、目の前が柱で、住職さんの姿が見えぬ……! これ、確実に100人以上いるよね……。

 

 それでも実習が始まればマイクを通した住職さんの声が全体に響いており、その説明も至極わかりやすかったので、特に問題はなかったです。ひとつひとつの所作を丁寧に説明しつつ、全員で手順をゆっくりとこなしつつ進めていく流れ。こちらは指示に従うだけなので、何ひとつとして難しくはありませんでした。

 詳細な手順・内容は割愛しますが、ざっくりと言えば、この手順をこなすことによって自らの身体と精神を正しくコントロールし、日頃の生活で積み重なった諸々を自分の内で整理することができるようになる、といった印象を受けました。実習後の茶会でも話されていましたが、「整理整頓」は重要なキーワードっぽい。

 

 指示に従って合掌と共に「立ち、座り」を繰り返し、「吐いて、吸って」の深呼吸を繰り返し、血流と脳が落ち着いてきたところで坐禅を組んで瞑想に移る。

 静寂の中で精神と感覚が鋭敏になり、小さな物音や周囲の様子に意識が飛んでしまいそうになるけれど、徐々にその意識は内へ内へと向かっていく。

 気づけば坐禅によって痺れていた足の感覚も過ぎ去り、遠くから聞こえる雑踏も聞こえなくなり、耳にするのは静寂だけ。

 いろいろな思考が次々に脳裏を駆け巡るけれど、深くは考えず、ただただ受け流していく――自分が初めて体験した「阿字観」は、このような感じで終わりました。

 

消して、リライトしない

 実習が終わったら、場所を移して希望者のみのお茶会。……と言っても、参加者さんの大多数は残っていたように見えました。100人くらい。住職さんが前に座り、お茶とお菓子をいただきながらお話を聞きます。

 お茶会は1時間ほどでしたが、この「阿字観実習」開催の経緯から、高野山東京別院の成り立ち、密教の教えなど、多岐にわたるお話を聞くことができました。ろくに仏教の知識を持っていない自分にも示唆的に感ぜられ、手元のノートにびっしりメモっちゃうくらいにおもしろかった。

 

 特に印象的だったのが、「掃き清めて全て綺麗にしてしまうのではなく、今ここにあるものをコントロールする」という考え方。なかったことにする「掃除」ではなく、ありのままを認めた上で考え直す「整理整頓」という言説には、強く共感させられました。

 これまで自分が「宗教」の類に興味を持てなかったのって、それらが長い歴史の中で「戒律」や「聖典」といった形で価値観を固定化され、時に時代に逆行したものであるように映っていたからなんですよね。他方では、人間の普遍的な思想信条を体系化したものでもある、そこから得られる学びは数多い、というのは納得できるしおもしろいとも思うけれど。

 

 一方で、目の前にいる個人個人に合わせて柔軟に対応し、それだけでなく年齢や時代といった時間軸まで鑑みて最適の教えを伝えんとする考え方には頷ける。

 そういう意味で、各々が勝手に“気付く”ことのできる(かもしれない)瞑想というのは、合理的で有意義、しかも(やるだけならば)簡単という、魅力的な手段であるようにも思う。何より、自分で体験し、空気感を知って気持ちよかったので。

 

 そんな感じで想像以上におもしろかった、阿字観実習。20年以上も無料で続けているということで、いったいどんな運営がされているのかと思いきや、実習自体は住職さんの手弁当。

 さらに、会場の準備や初参加者の案内、お茶の用意など、全てが長年訪れている実習生、常連の参加者さんによって回されているという話。言うなれば、オールボランティア。すげえ! コミケか! コミケだ!

 

 

 お寺側としては、場所を提供しているだけ。住職さんも、勝手に来て喋っているだけ。参加者さんも、勝手に手伝って案内しているだけ。各々の協力によってこの実習会が構成され、これまで大きな問題や盗みなどもなく、ずーっと続いてきているそうです。

 でも考えてみれば、そういう集まり・環境が長年の「お寺さん」の役割だったのかもしれない。日本全国どこへ行っても目にする割に、年末年始や法事などの行事でしか訪れる機会がなかったけれど、このお話を聞いて一気に距離が縮まったような気がします。

 「近く大掃除をするんで、仏像を磨きたい人はぜひぜひ〜」なんてユルい募集もしていたり、帰り際には初参加者も一緒に協力して後片付けをしていたりと、終始和やかで楽しげな雰囲気でした。

 

 他にも「教室」として「写経会」なども開催されているそうなので、次の機会にでも参加してみようと考えております。ちょうど先日作った積ん読リストの中に『空海入門』なんて本もあるし、これを機にいろいろと学んでみるのもおもしろいかも。

 「阿字観実習」は月2回、予約不要で定期開催されています。興味のある方は、ぜひ一度参加してみてはいかがでしょう。詳しくはサイトの案内や、他の参加者さんのレポートを探してみるとよくわかるかと!

 

 

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