『大卒だって無職になる』からレールを外れたっていいじゃない


 

大卒なのに無職になってしまうことが、僕らの社会ではフツウにあること、そして、フツウにあることだからこそ、そこからやり直せることもまたフツウである社会であってほしいと、僕は願っています。

 

 工藤啓さんの著書『大卒だって無職になる "はたらく"につまずく若者たち』を読みました。

 

 僕自身、書名の指し示す“大卒無職”でございますが、無職でなくとも“はたらく”に悩む若者や、昨今の労働問題、就職活動事情などに関心がある人など、幅広い層にオススメできる作品です。

 個人的には、大学生にぜひ読んで欲しい。それも、自分を“フツウ”だと感じている学生さん。特にやりたいこともなく、周囲に合わせて就職活動を始め、自分の方向性や選択に悩んでいる人。

 

 ストーリー仕立ての展開となっていますが、そこに登場する若者はみんな、どこにでもいそうな等身大の存在。時間のあるときに、さらっと読んでみてください。

 

 

ひきこもりやニートの問題の解は「わからない」

 著者の工藤啓@sodateage_kudoさんは、NPO法人育て上げネットの理事長さん。若者の支援を続ける長い活動の中で、数多くの無業者や学生などと関わってこられたそうな。実績もあり、若者問題のプロフェッショナルとも言える方であるようです。

 

 そんな工藤さんですが、ひきこもりやニート、早期離職などの若者に関する社会問題に関しての答えは「わからない」、と。

 現代の若者の特徴が由来だとか、社会のシステムに歪みがあるだとか、雇う企業側に問題があるだとか。様々な視点からの問題提起はあれど、明確なひとつの答えは今でも見つけられていない、と書いています。

 

 報道を見れば、「最近の若者は〜〜」「ゆとり世代が〜〜」「無職は甘え〜〜」などの決め付けに溢れているけれど、それは他人事のレッテル貼りに過ぎない。

 実際、身近に無職やニート、ひきこもりになってしまっている人間がいる人であれば、それを一括りに「◯◯のせいだ」なんて決め付けることは難しいのではないか。

 

 何度も何度も語ってきたように、つまずいた理由、立ち直るきっかけは、人それぞれで、そこに共通点は見つからない。一人ひとりがかけがえのない存在であることと同じように、一人ひとりがまったく違うのだ。

 それは、人の生き方が人の数だけあるのと、同じなのかもしれない。  だけど、一つだけ言えることがある。それは、「つまずいてしまった若者が立ち直っていくとき、人とのつながりが大きな役割を果たす」ということだ。

 

 この点には、強く納得、共感しました。本書で挙げられている事例の中にも、「日本」や「社会」といった大きな主語・枠組みで考えてしまう若者がいましたが、まさしく。

 抜本的な解決策が望めない以上、ひとりひとりの抱える問題や悩みを明らかにした上で、辛抱強く対応していくしかないのでしょう。人間さまざま。問題もさまざまの中でこのような活動を続けられているみなさんには、本当に頭が下がります。

 

僕らは身近に感じられない存在に対して、よく知らないからこそ厳しい言葉を突き付けたり、根拠のない決めつけをしてしまったり、無下に不平や不満をぶつけてしまったりします。でもそれは、その人がたまたま知る、知り合う機会に恵まれなかっただけなんだと思います。

 

社会という“別世界”に飛び込めなかった、つまずいた若者たち

 本書で取り上げられている若者は、高学歴だったり、内気だったり、夢があったりと多種多様ですが、いずれも等身大の、どこにでもいそうな存在。

 それゆえに、どこかしら共感できる点、思わず頷いてしまうような悩みが多いように読みました。「それ、なんて僕?」状態。

 

「やりたいこともないし、履歴書に書くようなこともない。私には何もないんですよね」

「就職先がないことも心配ですが、大学を卒業して、毎日行く場所がない。所属がなくなってしまうことがとても不安です」

 

 就職活動で、「履歴書を無理やり埋めた」人は決して少数派でないと思う。また、無職になって名刺のありがたさを初めて知りました。「自分はこういうものです」と証明できるものの存在は大きい。

 

「雇用の流動化」なんて言われていても、新卒一括採用という制度がまだまだあり、それに失敗してしまうと、その人の人生はそこで終わり……そんな風潮が、渦中の若者自身に重くのしかかっているようにも見える。

 

 就活中の後輩も、まさにこんな感じで悩んでおりました。「とりあえずどっかに就職しないと、人生オワタ」が主流になりすぎている。

 

「働いていないからこそ、しんどいことってある?」

 多くの若者が答えることはだいたい同じだ。

 家族、親族からのプレッシャー。近所の目。レンタルビデオの会員になるときの職業欄。気合いや根性を入れて働いている人を取り上げたTV番組。知り合いに「今、何やってんの?」と聞かれること……。

 学校に通っていない若者で、一定の年齢を過ぎている場合だと、「働いていない」状況に対する社会の目はかなり厳しい。「学生でないなら働いているはずだ」という、いわゆるフツウの感覚にさらされ続ける。これはけっこうキツいに違いない。

 

 最近は一周まわって気にならなくなってきたけれど、“フツウ”でないこと、自らの異質さを意識し続けるのは、結構怖い。

 

よく「今の若者には、コミュニケーション能力が足りない」と言われる。若者自身も「コミュニケーション能力が低いんです」なんて、自分を分析していたりする。でも、それは本当なのかな、と僕は思う。「人見知りせず、明るく、よくしゃべる」ことがコミュニケーション能力だと勘違いされている気がしなくもない。

 

 前の記事でも書きましたが、これも本当にその通り。特に企業の語る「コミュ力」なんてものは、「その企業が求める立ち回り方」に過ぎないと思う。

 

 そういえば、「大学卒業までなんの問題もなかった若者」のことは、まったくと言っていいほど話したことがない。

 特に、新卒で入社して、すぐに離職した若者のことなんて、きっちりとふれた記憶がない。 「新卒入社早期離職で働けなくなった若者のことは、社会問題としてはクローズアップされないけれど、もしかして見過ごされてきたんじゃないか……」

 こんな疑問が僕のなかにわいてきた。前にも語ったことだけど、学校を卒業したあと三年以内に離職する割合は、大卒で約三割もいるはずなのだ。

 

 僕がブログで退職の経験や意見について何度か書いているのも、この情報が少なかったから。特に就職活動生からすれば、レールを外れた人の体験談は貴重なのではないかと。

 

半径3メートルの世界を大切に

 そうした山積みの問題に対して、システムを大きく変えることも難しく、しかもそれが解決に繋がるかも怪しい現状では、やはりひとりひとりに向き合って、ひとつずつ変えていくしかないのかもしれない。

 

「自分の半径三メートルか、五メートルの世界を、みんなが大切にしたら、僕たちの前に横たわる社会問題は、少しはよくなるんじゃないか」

 

 確か家入一真@hbkrさんも同様の話をしていたと思うのですが、結局は身近な関係性に帰結するのでしょう。

 というか、能力も技術も影響力もない個人が、「日本」だの「社会」だの「政治」だのと批判したところで、どうしようもないんですよね。大きな括りでまとめてみても、そこにあるのは個人の集団。その全てに同一性を見出すことも、それを変化させるのも難しい。

 

 外側から「甘え」だの「社会不適合者」だのとツッコむくらいなら、自分の周囲の人間に目を向けた方が有意義に見える。

 身近な関係性にはらんでいる問題や、親しい友人の悩みを解決するように努めた方が、よほど前向きだし、小さなものではありますが、明確な「変化」をもたらすものだと思います。つながり、だいじ。

 

 

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