『弱いつながり』を辿り、「偶然」に出会うための旅に出よう


 

 発売当日に存在を知り、あちらこちらで「おもしろかった!」という評判を目にして、ついにポチってしまいました。東浩紀さんの新著『弱いつながり』

 東さんの言説は学生時代からたびたび読む機会があったわりに、読んだことのある著作は『クォンタム・ファミリーズ』のみ。『思想地図』も数冊が本棚に鎮座しているものの、あまりの分厚さにいまだ手を出せていない状態。

 そんな僕にとって、本書は2時間とかからずさくっと読める文量でありながら、とても気付きの多い内容でした。いやはや、友人の言っていたとおり、ピンポイントにずばーん! と入ってくる感じでござった。

 

良くも悪くもネットに縛られている日常

 本書の内容をざっくりとまとめれば、

「Googleのシステムによって最適化された、情報を見せられている環境から抜け出し、ネットのもたらす『強い絆』から自分を開放するための方法として、偶然性と『弱いつながり』に満ちた旅に出よう!」

 ──といった感じでしょうか。まとめ方が雑ですみません。

 

検索ワードは、連想から生じてきます。脳の回路は変わりません。けれどもインプットが変われば、同じ回路でもアウトプットが変わる。連想のネットワークを広げるには、いろいろ考えるより、連想が起こる環境そのものを変えてしまうほうが早い。同じ人間でも、別の場所でグーグルに向かえば、違う言葉で検索する。

 

 一口に「ネット」と言ってもさまざまですが、本書で語られているそれは、主に検索エンジンソーシャルメディア周辺のもの。

 Googleの検索エンジンを利用すれば、ウェブ上に溢れ返った多彩な情報に誰だってアクセスすることができる。そう考えられているけれど、実はそんなことはないと。

 検索者の語彙や経験によって選択する単語は限られてくるし、表示される結果もGoogleによって最適化されたもの。そこには「ノイズ」が少なく、僕らは意外と狭い世界しか見ていないんじゃないか──という話です。

 

ネットには情報が溢れているということになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと思うものしかネットに書かないからです。

 

 加えて、「広く浅く繋がれるネット」も幻想である、と。FacebookやTwitterといったソーシャルメディア上で交流を続けようとすれば、より深くコミットすることが求められてしまう。

 メッセージにはいち早く反応しないと文句を言われることもあるし、リアルでの付き合いのある相手であれば、おざなりにすることは難しい。逆に顔の知らない相手であっても、マメに交流し、情報を発信しなければ、すぐに忘れられてしまう恐れがある。

 

ネットは階級を固定する道具です。「階級」という言葉が強すぎるなら、あなたの「所属」と言ってもいい。世代、会社、趣味……なんでもいいですが、ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです。

 

 ほぼ文字情報しか参照できないネットでは、やはりその人の「肩書き」が重要視されることになりますもんね。

 

現実の「モノ」に触れることで、ネットの世界を広めていく

 著者は、ネットに溢れる数多の情報としての「言葉」に対して、「モノ」が大切であると説いています。 “時間や経験といった「言葉の外部にあるもの」” 

 

ぼくたちは、検索を駆使することで無限の情報から無限の物語を引き出すことができる時代に生きています。だからこそ、ひとりひとりが、物語と現実の関係について自覚的でなければなりません。情報だけの世界に生きていると、乱立する物語のなかで現実を見失ってしまいます。新しいモノに出会い、新しい検索ワードを手に入れることで、言葉の環境をたえず更新しなければいけないのです。

 

 過去に「ネットの三大原則『知らない』『伝わらない』『関わらない』」なんて記事を書きましたが、文字によるコミュニケーションには、明らかに限界があります。

 書き手からすればそんなつもりはないのに、間違いを指摘する文章が怒っているように見えたり。互いの意見を交えて議論しようとしても、本筋とは異なる解釈・誤読をされて、最終的には罵り合いに発展したり。

 あるいは、言葉の安易なレッテル貼りも同様のものでしょうか。「ゆとり」がどうのこうのという世代論や、特定の宗教・思想を持つ集団に関して一括りにし、個人攻撃するような。

 このブログに関して言えば、「無職」の文字を見ただけで、反射的にツッコんでくる人が多いような印象があります。あなたの見ている「無職」像が、どのようなものなのか。私、気になります!

 

 そんな「言葉」をアップデートするための手段として、実際に会って話をすることがひとつ挙げられると、僕は考えています。本書では「旅」を推奨していますが、類似例としての「オフ会」的なもの。

 それを実感したのが、先日の某オフ会でのこと。普段はお互いに批判し合っているようなユーザーさん同士の組み合わせもみられるとのことで、正直、いったいリアルだとどうなってしまうのか……と戦々恐々としていたのですが、全くの杞憂でした。

 端からすれば仲の悪そうに見える間柄でも、「それはそれ、これはこれ」という線引きがある。そのうえで、お互いに尊重し合いながら交流しているということは、実際に会ってみないとわからなかったように思います。当たり前と言えばそうなのですが、どうもネット上のコメントは攻撃的に見えてしまいがちなので。

 

 そんなこともあり、同じ場所で、共に同じ時間を過ごすという「モノ」の経験は、ネットの情報のみで凝り固まっていた視野を広げてくれる、良いきっかけとなりました。

 ただし、例として挙げておいてアレですが、オフ会は少し方向性が異なるかもしれません。本書では、チェルノブイリの原発や、観光地の史跡など、文字通りに形のある「モノ」を実例として説明しています。

 いずれも、字面を追っているだけでは “知る” ことのできない、実質的な経験をもたらしてくれるものですね。

 

新しい欲望に出会う旅と、偶然性

 「検索ワードを探す旅」というサブタイトルにもあるとおり、ネットの “強いつながり” に対向する手段として、本書は「旅」を大きな要素として勧めています。

 日常を漫然と過ごしているだけでは、新しい情報や物事と出会う機会はあまりない。そこで、「旅」という非日常に身を置くことによって、新しい「検索ワード」と出会おうとしてみる。そうすることで、ネットで見られる世界・価値観の幅も広がるのではないか──というものです。

 

ネットは記号でできている世界です。文字だけの話ではありません。音声や映像が扱えるようになっても同じで、結局はネットは人間が作った記号だけでできている。ネットには、そこにだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。「表象不可能なもの」はそこには入らない。

検索ワードを探す旅とは、言葉にならないものを言葉にし、検索結果を豊かにする旅のことです。

身体を一定時間非日常のなかに「拘束」すること。そして新しい欲望が芽生えるのをゆっくりと待つこと。これこそが旅の目的であり、別に目的地にある「情報」はなんでもいい。

 

 旅のもたらす非日常感については、昨日ちょうど書いたばかりですが仕事を辞めたけどやりたいことがない!そんな時は“経験値”を稼ぐように立ち回ろう、 “新しい「検索ワード」を探す” という視点はなかったので目から鱗でした。

 そのうえで、強い絆は計画性が高く、体力勝負になりがちな一方で、弱い絆をもたらす旅は偶然性が高く、多方面に可能性を広げる手段になり得るとしています。

 

強い絆は計画性の世界です。だから計算高い、慎重なひとは、強い絆をどんどん強めることを望みます。いま自分が置かれた環境のなかで、統計的に考えて最適なパフォーマンスを出そうと努力します。ビジネス書やライフプランのマニュアルには、その方法がたくさん書いてあります。

他方で弱い絆は偶然性の世界です。人生は偶然でできています。

本書で「新しい検索ワードを探せ」という表現で繰り返しているのは、要は「統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ」というメッセージです。最適なパッケージを吟味したうえで選ぶ人生、それは、ネット書店のリコメンデーションにしたがって本を買い続ける行為です。外れはないかもしれませんが、出会いもありません。リアル書店でなんとなく目についたから買う、そういう偶然性に身を曝したほうがよほど読書経験は豊かになります。

 

 この「偶然性」という考え方が、個人的にはものすごく共感できました。

 僕自身も言うなれば、強い絆の「計画性」に疑問を感じ、退職した身の上。その直後は不安でいっぱい、お先真っ暗どうしよう、な状態でしたが、その後の諸々の「偶然」が重なって、さまざまなリアルでの出会いや経験をすることができています。

 それらのきっかけは、このブログを書いていたことによってもたらされたもの。筆者の勧める「旅」ではなく、むしろネットの “強いつながり” をリアルに持ってきたことによるものが大きいので、どちらかと言うと、先ほどの「モノ」の視点の方に近しいかもしれませんが。

 

 でもある意味で、ブログを書いていて寄せられるコメントが、新しい「検索ワード」になっていたようにも思います。自発的に「旅」に出ることで得られる経験とは質が異なりますが、他人によってもたらされる言葉には、自分が思いつきもしなかったようなものがたくさんありました。

 そんな閉じられたネットでの「旅」ですら、リアルと繋げることで多くの「偶然性」を生んできた。それならば、実際の旅で得られる経験と “弱いつながり” は、もっと多様な可能性をはらんでいるんじゃないか──。そのように思わせてくれる1冊でした。無性に旅に出たくなった。

 

 

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