「働く」ことについて考えた


 気付けば2012年もあっという間。世間的には本日が仕事納めでございますね。「正月休みだひゃっふー!」と浮かれている友人たちが羨ましい今日この頃。…はい、明日も大晦日も出勤ですよーだ!ふん!

 

 大学を卒業し、入社して、はや9ヶ月。流されるままに与えられた仕事をこなし、ノルマという数字に追われる日々でした。いえいえ、別に文句や疑問なぞありませんとも。ちゃんとお給料は頂いてますし、先輩も皆さん良い人ばかりですし。

 うん、これなら大丈夫。2年も3年も働き続けられる。そんなふうに考えていた時期が僕にもありました。

 

 変化があったのは今月始めのこと。深夜にふと目が覚めて、酷い吐き気と便意に襲われてトイレに駆け込みました。死ぬかと思った。そして会社を4日も休みました。はい、ノロウイルスです。流行に乗っかっちゃったぜ、はっはっは。

 寮母さんのお世話になりつつ、自室に閉じこもってひたすら眠るだけの日々。そんな中で、ふと我に返っちゃったのよね。

 

 「あれ?どうして僕はこの仕事をしているんだっけ?」

 

 思いつく理由はいろいろとあります。唯一の内定を頂けた企業だったから。大手だから。就活留年したくなかったから。親に心配かけたくなかったから。周りに取り残されたくなかったから。

 あれ?あれれ?これってつまり、妥協したってことじゃないの?流されただけじゃないの?「この仕事がしたかったから」って理由が出てこない時点で、もう終わりが見えちゃっているんじゃないの?

 

 体調を崩したことで先輩たちに迷惑をかけているのに、こんなことを考えているのも申し訳ないとは思います。それでもやはり、違和感は大きくなるばかり。自分はずっと、何かを我慢し続けているんじゃなかろうか。

 

 社会人とは、「我慢する」こと、「耐え忍ぶ」こと。そうすることで成長するんだ、大人になるんだ、と宣う方々もいらっしゃいます。

 その考えもよく分かります。何らかの責任を背負って働いている以上、耐えるべき場面はもちろんあるだろうし、そうして成功を収めることもあるでしょう。

 

 でも一方で、こうも思うんですよね。そんなの、知らんがなと。

 

 何となく、日本のサラリーマンは我慢強いものだ、というイメージがあります。マンガなどでよく見かける、上司に叱られても文句ひとつ言わずに平謝りを続けている感じ。そしてそこからの成功体験談。

 そういうこともあるんでしょう。若手時代に耐え続けたからこそ、後の出世や成功に繋がっているのだ、と。確かにお話としてはまとまっていて美しい。ありがちすぎるけど。

 

 だけど、今はもうそれが通用しないんじゃないかと。いまだ続く不況の中で永年勤続の時代は終わり、退職するまで安定し続ける職場など皆無に等しい。口々にそう言われ続けている中、そこで我慢し続けることに何の意味があるんでしょうか。

 

 現代の若者は、もっと好き勝手に生きてもいいんだと僕は思います。周りに流されんなよ!僕自身もそのうちの一人ですが。

 我慢して、精神をすり減らしてまで働き続けるのではなく、駄目だと思ったらすっぱり辞めて次のステージへ向かう潔さ。それを持って、自分のやりたいことをやること。やりたいことがなければ探すこと。

 「自分勝手な行動は周りに迷惑をかける」という人もいます。そうかもしれない。でも、本当にそう?無理してその場所に居続けることで、もっと迷惑をかけている場合も多分にあるんじゃないの?

 

 学校を出たら就職するのが当たり前――そんな枠組みにとらわれる必要はないでしょう。もっと余裕を持って、「一番楽しいと思えること」をするのがいいんじゃないかな。もちろん、日々の生活が一番ですが。

 

 でもでもやっぱり、せっかくの人生、やりたいことをやらないと損っしょ!うん!

 

 

 ……などと長々と書いたのはいいですが、ほとんどが僕の願望ですね、きっと。

 仕事をすぐに辞めるつもりは今のところありませんが、金銭的余裕ができたら、「好き勝手する」ことに挑戦したいとは思っています。はい。

 

 好き勝手やることが正しいことだとは思いません。今回はたまたま体調を崩したことで、就職してからほとんどできていなかった、今の生活の見直しができました。これからの自分について考える意味でも、いいきっかけにはなったんじゃないかな。

 

 

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